Thursday, December 22

小さな島

昨日は、仕事の関係で、市内から飛ばせば30,40分で着く港からフェリーに1時間乗って隣の国の小さな島へ。

2時間もあれば車で一周できるサイズの島です。10年ぐらい前まではぱっとしなかったらしいですが、その後、特別自治区、フリーポートになったこともあり、思ったより活気のあるきれいなところでした。アルコールが買えて、飲めて、カラオケやパブもあり、しかも物価も安く、こんな小さな島ですが、ちゃんと国内空港もあって、アジアの格安航空会社も参入している、ということで、週末を中心に日帰り、1泊程度で遊びに来る人が多いようです。すぐ近くの無人島までいくと、珊瑚礁や色とりどりのお魚などが、シュノーケリングでも十分楽しめるということです。小さいながらも、水族館やバード・パークなどもありました。日本との関係では、Surrender Pointがあり、慰霊訪問なども行われているところです。現在の産業はやはりオフショアから産出される石油、ガス、メタノールといった資源への依存は大きいようですが、観光にも力を入れていて、少なくとも、この国よりは成功している印象を受けました。地方政府だった組織を半官半民にして、商業ベースの事業に大々的に関与できるようにして、開発部門に特化した結果が現れつつあるようです。

フェリー乗り場の横にあったデューティー・フリー・ショップ。入り口付近の目立つところに、梅酒、日本酒のミニボトル、ハチミツ酒などが置いてあって、驚いていたら、このショップの経営者の奥さんは日本人。島で10人程度の在住邦人の1人でした。

小さな島から再び小さな国へと戻ってきました。そして明日から、一気に20度以上の気温差がある日本に一時帰国。明日から1月3日までは、また、このブログもお休みします。

Tuesday, December 20

ソフトシェルクラブ・スシ

昨夜は、先日からずっと、いちど一緒に試してといわれていた、日本食レストランへ。
ドアを開けると「いらっしゃいませ」。

数年で何度もオーナーが変わっているお店ですが、今回は、珍しく評判もよく続いています。というのも、当地唯一の日本人シェフ(板前さん?)が調理場の責任者だからのようです。ただ、そんなにおいしくなかったという話も聞き、これは逆にいうと、和食らしすぎて受けない、という可能性もあるのかと思っていました。

いわゆる回転寿司スタイルと普通の定食・居酒屋系メニュー。お寿司を運ぶのは汽車です。これは、他のお店でもあります。メニュー選びは彼女にお任せすると、最初にこれはどう?といったのは、「ソフトシェルクラブ・スシ」。そもそも、こういうものがメニューにあるところが・・・。スシと名が付けば、立派な和食、と思われているようなので、これは和食というよりフュージョン、というと、じゃあ、このJapanese Spring Rollは、といわれました。そもそも、春巻は中華料理。確かに、春巻は日本の食卓でもおなじみ。かといって、ベトナム風生春巻きぐらい違えばよいのですが、あえて和風、というほどの特色があるのでしょうか。結局、彼女が選んだのは、ソフトシェルクラブにエビ天ぷらというフュージョン・タイプのお寿司と春巻とお好み焼き。すごい取り合わせです。量が多いので、とてもこれ以上頼めませんでした。それでも、確かにお味的には、意外にちゃんと日本食でした。メニュー、食材、プレゼンテーション、アレンジは、相当こちら風になっていますが、他のお店に比べればいい線をいっています。少なくとも、リゾート・ホテルの摩訶不思議な懐石もどきに比べれば、庶民的な味ですが、おいしく食べられました。

ソフトシェルクラブ・スシをいただいて、日本のおしゃれな和食ダイニングで、アボカドなどを使ったまさにここで主流なタイプに近い変わり太巻きの盛り合わせに、からっと揚げられた小さなカニが、飾られていたのを思い出しました。その盛りつけはまさに南の島風。あれも和食というのであれば、これも立派な和食、なのかもしれません。

Monday, December 19

7人姉妹と6人姉妹

土曜日に夕食に誘ってくれたのは日本語ぺらぺらの中国系の友人。

日本語学習熱はかなり高く、日本語を習ったことがある人は山のようにいるのですが、彼女のレベルまでしゃべれる人は少ないです。今は日本語を教えている彼女、生徒さんは20人もいるそうです。実は、二足のわらじで妹の経営しているお花屋さんのビジネスも一緒にやっているとのこと。そこで、何番目の妹という話題に。彼女は7人姉妹の一番お姉さん。いかにも長女という感じのしっかり者です。一番下の妹とは14歳も離れているといわれてびっくり。SK IIのマスク、レーザーでのシミ取り、プチ整形など、結構きれいにお金をかけているので若く見えますが、意外と年上だったことにまたびっくり、でした。彼女を筆頭に全員独身で一緒に住んでいるというのですから、にぎやかさを想像できます。

日曜日のお茶に呼ばれたマレー系の友人も8人兄弟姉妹で、彼女のところは姉妹は6人で、一番下。二人の友人の年はおそらく一緒ぐらいですが、確かに彼女のほうがいかにも末っ子の雰囲気です。珍しく、政府借り上げの大きなおうちに一人暮らしをしていますが、彼女のお父様は、6人姉妹のためにすでに土地を準備しているそうです。住宅建設用に整地中で、そのうち、6等分された土地にそれぞれ一軒家を建築予定。共同のプールをつくろうとか、いろいろ夢はふくらんでいるようです。これもまたにぎやかな雰囲気になりそうです。ただ、今住んでいる場所が気に入っているので、建てた家を貸してここにそのまま住もうかな、などともいっていましたが。

その後、夜は、ダンスのスタジオでのクリスマス・パーティー。中国系の友人の「おばさん」にあたる友人が来ていました。彼女も姉妹が多ければ、彼女のお母様も兄弟姉妹が多く、この「おばさん」はその一番下の妹。そうなると、「おばさん」と「姪」でも年が近く、自分の一番下の妹よりはずっと身近だったりするわけです。

小さい頃は一人っ子にあこがれたこともありましたが、大人になると、兄弟姉妹はやっぱりいいなと感じます。日本では子どもを大勢持つということはすでに贅沢。いろいろな意味で余裕のあるこの国だからこそ、7人、8人兄弟姉妹もごく普通なのでしょう。ただ、最近はさすがに子どもの数は減少傾向のようです。そういえば、7人姉妹も6人姉妹も、まだシングルが圧倒的に多いようなのも、ちょっと気になるところです。

Saturday, December 17

11年ぶりの再会

昨夜はタイ人の友人とうちで夕食。
外交官の彼女、海外生活や外国人の友人が多いのは当然なのですが、ちょっと不思議で、素敵な話を聞きました。

大学入学前に英国で語学学校へ。
英国の語学学校といったら、日本人がいないところを探すのは難しいぐらい。彼女の行ったスクールでも、日本人は大勢いたようです。そのうちのひとり、ある商社からの派遣で来ていただいぶ年上の男性とよい友人関係となった、とのこと。日本人の中でも、彼女によく話しかけてきたのは彼だけだったそうです。ちなみに、彼はハンサム、彼女も今よりだいぶ若くさらにきれいだったと思うので、想像ですが、お互い、いろいろな気持ちはあったのでしょう。

コースが終わり、その後、ずっと会うことはなかったものの、男性はまめに「手書きの絵」が入った年賀状などのカードを送ってきたそうです。もちろん、まだメールなどない時代の話です。この「手書きの絵」というのはやはりポイントが高かったようです。

英国の大学にいっている間、出張で来た彼と会ったことも一度はあったものの、何年か経つうちに、連絡先がわからなくなり、お手紙のやりとりは途絶えてしまったそうです。そうこうしているうちに、彼女は外交官生活に。ふとしたきっかけで、彼の勤めていた商社の支店に連絡をとると、ちょうど異動したあとでまたすれ違い。それでも、彼のことを懐かしく思った彼女は、部署もわからないのに本社宛に名前だけでお手紙を出したそうです。その結果、数年ぶりにメールで返事が来て、やりとりが復活。

今度は、彼女が日本に遊びに行くことに。帝国ホテルのロビーで待ち合わせ。11年ぶりの再会だったそうです。一緒に付いてきた友人には、11年も経っているのだから、あまり幻想を抱かないように、すごい太ったおじさまになってるかもしれないし、などといわれたそうです。それでも、もちろん、年はとっていたけれど、そんなに変わってはいなかったそうです。彼は、結婚して、離婚して、でも、前の奥さんとはお友達のような関係で、商社はやめて自分で会社を起こして、といろいろな変化が。彼女は、前の奥さんの住んでいるうちにも招待され、前の奥さんにも「あなたのことはよく聞いていた」といわれ、とても気があい、お互い初めて会った気がせず、そのうちに1泊泊まることになったそうです。

その後、忙しくて、最近は、また数ヶ月メールのやりとりもしていない、といっていました。

何とも不思議な感じでした。
細く長く、大切に暖められてきた思い出と友情、というのでしょうか。
11年ぶりの再会のときのドキドキ感。前の奥さんとの初顔合わせ。3人の不思議なお友達関係。
実は、まだ、語られていない気持ちの部分もあるのかもしれませんが、普段落ち着いて物静かな雰囲気の彼女の饒舌さに驚きつつも、素敵な再会の話でした。

Friday, December 16

150人!

昨夜は、こちらの旅行会社で日本人向けツアーのガイドをしている日本人の友人と夕食。

旅行社というのは、まさに世間と逆の時期がかき入れ時なので、クリスマス、年末年始はばっちり仕事、一時帰国どころのお話ではないそう。それでも、それだけツアー客が来ているということは、ビジネスがうまくいっていて、彼女のお給料などにも反映されるのでしょうから、悪いことではないのでしょう。

来年もかなり忙しそうとのこと。いちばんすごいのは、なんと、150人のツアー!
もちろん、普通のツアーではそんな人数はあり得ません。保険だか商品だか販売をするような会社の成績優秀者のための社内旅行、のようなものらしいです。宿泊は、街中にある唯一のヨーロッパ系チェーン高級ホテル。そんなに大きいところではないので、半分どころか、2/3近くの客室が埋まるという感じでしょう。それにしても、150人。在留邦人の数が100人のこの国で、住んでいる人の数の1.5倍が訪れるというのだからすごい話です。

一時期週2便程度関空に飛んでいた直行便は、現在休止中。チャーター便実績も今年はゼロ。それでも、このレベルで人が来るようになるのであれば、定期便はともかくチャーター便復活ぐらいはあり得るかも・・・とちょっと期待しています。

ちなみに、昨年末にはチャーター便がありました。基本は、日本から出るツアー客を乗せるということでした。こちらからも、空気を乗せていくのはもったいない、とツアーやフライトの販売がギリギリに行われて、それを購入したのですが、ふたを開けてみると乗客は私を含めて5名。しかも、そのうちひとりは赤ちゃん。エコノミー・チケットでしたが、座席だけビジネスに自動アップグレードされました。ビジネスといっても、多少座席が広い程度。サービスはエコノミーと一緒の上、赤ちゃんが泣くので、エコノミーで自由に移動できたほうがよっぽどよかったという話もありますが。チャーター便はタイム・スロットもよくないので、関空に到着したのはかなり遅く、その日最後の便。入管を通過しようとしても事務所以外は人がいないし、税関でも、あぁ、あの5人しか乗っていない便ですね、どうでした?などといわれてしまい、何ともいえない気分でした。

そんな状態だったせいか、今年は、GWに予定されていたチャーター便も集客できず直前にキャンセル、年末年始もキャンセルでした。

この150人が年末年始に来てくれたら、快適とはいいませんが、割安のチケット、少なくとも最短距離、5時間の空の旅で、日本に帰れたのにと思ってしまいました。何といっても、直行便は魅力です。

Thursday, December 15

Calendar

この時期、そろそろ来年のカレンダーと並べて使い始める頃かと思います。

職場で愛用しているのはちょっとした書き込みスペースがある卓上カレンダー。
1ヶ月ごとで数字は小さめ、おまけにシールなどが付いているものがベストなのですが、そんなにカレンダーが豊富にあって、いただける環境にもなく、選んで買うこともできないので贅沢はいえません。

今年使っているものは、日本の新聞社のもの。来年のものは、とりあえずこちらのToyotaのディーラーからもらったもの。Toyotaのものは、デザイン的にはなかなかよいのですが、書き込みスペースがほとんどないためちょっと不便。別のものがもらえたら取り替えようかと思います。ただ、書き込みはともかくユニバーサル仕様です。つまり、日本のカレンダーは、日本の祝日が赤くなっていますが、こちらで生活、仕事をする上では、日本のものよりもこちらの祝祭日のほうが重要。自分で赤丸シールを貼り付けるようになっています。ちなみに、日本のカレンダーは土曜日が青など別色になっていることが多いですが、それもありません。イスラム圏では、金曜日が休日、土曜日がワーキングデーのところが多いからでしょう。

来年の日本のカレンダーを見ると、祝日が見事に土曜日に重なっています。土曜日だと振り替え休日になりませんから、土、日が週休日の人たちにとっては、来年のカレンダーは最悪、ということです。基本的にこちらの祝祭日を休むので、来年は日本の祝祭日は一切関係なし、ですが、シールを貼ろうとして途中でストップ。そうでした。お月様が見えるか見えないかで変わるお休みばかりでした。せっかくのユニバーサル仕様の祝祭日シール。実は直前までわからないとなると役に立ちません。ポストイットのようにいったん貼っても貼り直せるようにしてもらわないと。

そういえば、ここではあまりカレンダーを見かけない気がします。カレンダーよりも、王様や家族の写真の印象が強すぎるからでしょうか。普通はこの時期お店で山積み、というイメージなのですが。一般に私たちの考えるカレンダーはイスラム暦と異なるので、おそらく両方併記のものが好まれるのでしょう。そうすると、毎年12月頃に来年用を、ということもなく、イスラム暦の年明け前に取り替えるということになるのかもしれません。

相変わらず、年の瀬の雰囲気がないのも、当然といえば当然、なのかもしれません。

Wednesday, December 14

いまだに車の運転はやっぱり好きになれません。

最初に乗っていたレンタカーで2回ほどこすって以来、なんとか無事に運転してきたのですが、週末、スーパーの駐車場の隅っこに停めたら、うまく出せずにガードレールのような部分にごつん。へっこむほどではなかったですが、さすがにスリキズ。今日は、workshopにお化粧直しのため連れて行ってもらっています。見積もりをとったらたいした傷ではないのですが、結構高いのでびっくり。車については、相場も何も全くわからないので、少なくとも2カ所のうち、多少安い方にお願いしています。きれいになって夕方までに帰ってきてくれればいいのですが。車がないとうちに帰ることもできないのです。

アジアの周囲の国と比較すると、格段に高級車が多いです。人気はレクサスとメルセデス。BMWなどもパラパラ。バイクは少ないです。先日、日本製バイクを一気に取り扱っているという会社の経営者の方に会いましたが、そのバイクの行き先は警察。つまり白バイです。あぁ、なるほど、という感じでした。カンボジアやベトナムなどでは、よく、家族全員が一台のバイクに乗ったり、ものすごい大荷物をくくりつけたり、明らかに重量オーバーでヒーヒーいっていそうなバイクを見かけましたが、そういうことは一切ありません。車が買える生活レベルなので、バイクは普及しないということなのでしょう。

日本でも「湘南」ナンバーがいいとか、数字へのこだわりは結構あると思います。前に香港に行ったときにも、1、8などの縁起のよい数字、ぞろ目ナンバーは高値で取引されて、そういう高価なナンバープレートをつけた車は、わざと目立つように駐車されている、と聞きました。こちらで数字の非常に若い(30番ぐらいまで)ナンバープレートをつけた高級車は王族関係者。そういう車は、ホテルでもショッピングモールでも、「No parking」「Reserve」とかなっているエリアに当然のごとくはいっていて停めています。高級車は高級車ですが、とんでもない色の車も見かけます。趣味の違い、といえば、それまでですが・・・。

ちなみに、私の車は、Toyotaのビッツ。中古だとメンテナンスに苦労するからとのアドヴァイスを受けて、新車を購入しましたが、この国のスタンダードからいけば中の中ぐらい、でしょうか。そうはいっても、車は高いお買い物。これまで、車と縁がなかったので、Toyotaの普通の車でこんなにするの、とびっくりしました。どちらにしても、これより大きな車や高価な車はとても手に負えないし、似合わないと思うので、分相応に。

車は便利だとは思うのですが、運転嫌いの私としては、早く車を使わないで済む生活に戻りたい、と思ってしまいます。

Tuesday, December 13

ドタキャン

前にドタキャンが多いと一度書いたことがありますが、また、です。
昨夜は仕事絡みのディナーに急遽2組+1人の計5名がドタキャンということで、人数あわせで出席することに。ディナーそのものは和やかな雰囲気で終わり、楽しいものでした。それにしても、直前のバタバタはひどかったですが。

もちろん、やむ得ない事情というのはあります。いきなり病気になることもあるし、ものすごく重大な仕事などが突然入ることもあります。それにしても、招待状が送られているような着席のディナーで、気軽に当日欠席、というのはやはり問題だと思います。あまり気乗りしない招待を受けても、その場ではっきり断れない国民性というのもあるようです。Noといえない人たち、です。

ドタキャンとともに気になるのは、アクションの遅さ。とにかく時間がかかります。たらい回しは日常茶飯事。やっと見つけたと思った相手にもいきなり逃げられたり。責任感が欠けています。このふたつ、ビジネスには致命的です。せっかく、投資を行うとしても、いくら督促しても返事は来ないし、ようやく来たと思ったら最後の最後でころっと態度が変わり、ハシゴを外されてしまう・・・。こんな状態はとてもビジネス環境がよいとはいえません。まぁ、この国に限らず、日本人にとってはあちこちで頭を悩ませる問題なのかもしれません。

ついイライラしてしまうことも多いですが、そこは大きく深呼吸。ある程度はアキラメとともに受け入れて、のんびり構えないと、ストレスがたまってしまいます。

Monday, December 12

王宮のお仕事

昨夜は、知り合いになって、実は同じ建物内に住んでいることがわかったドイツ人女性をうちに招きました。

彼女は、もう10年以上住んでいるということで、アパートができた当初からの住人。それなのに、今まで会ったことはありませんでした。それほど大所帯のアパートではないのですが、通勤の時間などが微妙に異なると、会わない人には全く会わないようです。彼女自身も、意外に住人を知らない、といっていました。彼女のようなごく一部を除くと、2,3年で皆出て行くので、入れ替わりが激しいせいもあるのでしょう。

もともとヨーロッパ系ホテル勤務なのですが、実は王宮とそれに付属するVIPハウスのハウスキーピングの責任者。王宮内の噂話なども聞けるかなと思ったのですが、国王のプライベート住居部分にいくことはめったにないということでした。今回は、そういう意味で、残念ながらおもしろい話はありませんでした。王宮は行ってみれば巨大ホテル。このホテルが王宮内のサービスをすべて取り仕切っています。外資系ホテルに一手に任せるというのは、他の国ではあまり一般的ではないと思います。確か、デンマークの王室のシェフは日本人で、もちろん、そういった形で自国民以外の人を重用しているケースはあると思いますが。ホテルとは関係ありませんが、同じドイツというつながりでは、国王のプライベート飛行機のパイロットは、ルフトハンザから来ているそうです。ちなみに、国王は自分でも操縦します。パイロットは4,5名で、4年程度で入れ替え。これは、最新技術に乗り遅れないようにするためだそうです。自国民では心配、自国民を育てるより外から連れてきた方が早い、という発想なのでしょう。

本当に、幅広く外国人労働者で成り立っている国だと感じます。彼女のアシスタントもインドネシア人とマレーシア人といっていました。王宮内ではかなりの数の人数が働いているはずですが、上の方にいる「公務員」たちを除くと、ほとんどが外国人なのでしょう。

2,3年のつもりが、思いもかけず、通算15年近くアジアで過ごしているという彼女。今年は、2年半ぶりにドイツにクリスマス帰国するとうれしそうでした。アジアでの生活があっているからこそ、シングルで10年以上もここにいられるのでしょう。それでも、いろいろと懐かしいものはあるようで、クリスマスマーケット、そして、パン、ハムやチーズ。ドイツから帰るときにはドイツパンを焼けるようにwholemealの粉を持って帰ってくると張り切っていました。来年にはおいしいパンのお裾分けを約束してくれたので、楽しみです。

Sunday, December 11

どこに行っても・・・

土曜日、スーパーでお買い物をしようと買い物かごを手にした瞬間に携帯が鳴り、それと同時に向こうから友人が手を振って話しかけてきました。

ちょうど電話をとってしまったので、友人にはとりあえず挨拶だけして電話を。その友人は、久々だったこともあり、しばらくしてからまた戻ってきてくれました。週末にスーパーやショッピングモールに行くと、だいたい誰か知り合いにあいます。この日も、最初に話しかけてきた友人を含めて2名。本当に、狭い世界です。

電話は、その日の午後にあるというSPAのイベントへのお誘いでした。ホテル内のSPAがリニューアル・オープンということで、スポンサーなのか、ある銀行のプリビレッジカードのようなものを持っている女性を対象に招待状を出していたようです。そんなに広くないホテルロビーが会場でした。ジンジャーベースのjamu(インドネシア語でハーブの意味らしいです) teaなどの飲み物とカナッペがサーブされる中、インドネシアのダンスのパフォーマンス。あとは、上の階のSPAルームの見学。おそらく普通のゲストルームを改造してつくられたSPAルームは3つ。それほど広くはありませんが、インドネシア風でいい雰囲気にはなっていました。イベントに来ているのは多くが中国系。やはりここにも見知った顔がパラパラいました。本当にどこに行っても・・・です。

夜には、CW LewisのNarniaを観にいきました。土曜日の夜ということもあり、映画館はものすごい混雑。友人が前日にチケットを買ってくれていたのでよかったのですが、もう満席。Narniaがいちばん人気で、買えなかった人は、まだ上映中のHarry Potterなど、その他のものに流れたようです。ここでもやはり知り合いに会いました。

土曜日にSPAイベントがあったホテルで、日曜日はCraft Fairをやると聞き、日曜日の午前中のぞいてみることに。アクセサリー、クリスマスデコレーション、カード、雑貨など、ストールの数はそれほどありませんが、思ったより楽しめました。そして、ここでも数人以上の知り合いが。

その後は、友人たちとランチの約束。ランチを終えて、友人たちと別れて、ショッピングモールをひとりでブラブラしているとまた別の友人たちが。

Small world!と驚くことも最近は少なくなってきて、ちょっと人出が多いところにいくと、誰か知った顔がいないかどうかつい見回してしまうようになります。

本当に、どこに行っても見知った顔が、と思うと、悪いことはできません・・・。

Friday, December 9

クリスマス休暇

昨夜は、今日からクリスマス休暇で英国に帰るという友人と、その友人たちと食事。
同じ建物に住んでいながらも、全然会っていなかったので、久々に会えたと思ったら、今度会うのはまた来年、という状態でした。

出発前日で大丈夫かしらと思っていたら、案の定、夕方になってから、パッキングや準備で大変だからやっぱり延期しない?というメッセージが携帯に。そもそも、帰国の前日だと聞いた時点で、こちらも忙しい時期だし、延期した方がよければしましょうといっていたのに、No problem!といわれたはずだったのですが。実は、ダンスのパーティーにも誘われていたので、ディナーがキャンセルならばそちらに行こうかと連絡をとっていたら、急に電話が。せっかく決めたし、どうせ夕食は食べなきゃいけないし、ほかのみんなへのキャンセルの連絡もまだだから、やっぱり行きましょうとのこと。ちょうどダンスに誘ってくれた友人にピックアップのお願いメッセージを出したところだったので、とんだお騒がせになってしまいましたが、もともとの計画通りディナーへ。

先日、ダンスのパーティーで使ったレストランが彼女のリクエスト。
雰囲気はいいのですが、お料理としては基本は中華で、お味もごくスタンダードなレベル。雰囲気がよい分、若干割高な感じもしますが、悪くはないお店です。ヨーロッパ系や、クリスチャンの中国系のお客さんが多いこともあり、クリスマスツリーなど、ちゃんとクリスマスモードにはなっていました。

彼女は今日から3週間の休暇。うらやましい限りです。
といいながらも、クリスマス、年末年始をここでひとりはあまりにも寂しいので、私自身もクリスマス直前の23日から1月3日まで、再び一時帰国の予定です。一応、25日はこの国も祝日(クリスチャンの人口は極めて少ないはずですが・・・)、今年は日曜日なので26日が振り替え休日です。年末年始もあまり大きなお祝いはないのですが、少なくとも1月2日は休日。つまり、私の帰国日程は近隣諸国でちょっとクリスマスや年末年始を楽しもうという人たちの日程とばっちりぶつかってしまったため、フライトの確保は相当大変でした。

友人も今年のヨーロッパの寒さにはさすがにおびえていましたが(彼女の地元では雪が降ったそうです)、日本も寒いようで、この気温のギャップが少し心配です。それでも、ギリギリ間に合うクリスマスのイルミネーションなどが今から楽しみです。
南国のクリスマスツリーは、ないよりましですが、今ひとつなので。

Thursday, December 8

大雨と読書

ここのところ、毎日のように雷雨や大雨。
特に夜になるとものすごい雨が延々降り続けることが。
そのせいで電波の状況が極めて悪く、せっかく、ニュースを見ようとテレビをつけても真っ黒画面。インターネットもいつもに増して調子が悪くつながりません。こういうときは、大抵国際電話も不調。こうなるとものすごく隔絶された気分になります。退屈して早寝をすると、今度は、朝4時30分に早すぎるモーニングコールならぬコーランの音で起きて、そのまま眠れなくなります。

夜はディナーやパーティーの予定がなければ、読書の時間。
特に、テレビが真っ黒だと、もうそれ以外ありません。日本にいると毎日忙しく本を読むヒマもなかったのですが、こちらに来てから、ずいぶん読んだ気がします。ただ、本屋さんの数はものすご少なく、品揃えもあまりよくありません。もちろん、すべてが検閲済みのものしかありません。図書館も皆無に等しいので、読書家は、アマゾンなどを利用してネット購入するか、海外に出た際に購入するようです。ちなみに、ネット購入すると開封されてチェックされている、らしいです。日本語だったらどうなるのでしょうか・・・? そこまで本を買いたいという意欲もなく、しかも、やっぱり寝る前には気軽に日本語の本がよいと思えば、とりあえず、職場の小さな図書コーナーの本を片っ端から読むということに。

ちょうど新着でイスラムに関する本がありました。辞典風な読み物になっていて、中東のアラブ諸国に関してが中心なのですが、あぁ、なるほどということもたくさん。1年も経って今さらですが、これはこういうことだったのか、これは中東とは違うなど、勉強になりました。

印象に残った項目のひとつは、結婚と離婚。
英国人女性でモロッコ人と結婚、ポーランド人女性でマレーシア人と結婚しているカップルは、それぞれ、友人のほうはキリスト教徒のまま。英国人女性で改宗している人もいます。でも、日本人女性でムスリムと結婚している場合は皆改宗していて、それは日本人男性でも同じ。英国人男性がムスリムと結婚した場合も改宗しています。女性がキリスト教の場合は、改宗しなくてもいいと説明を受けて今ひとつ納得できていなかったのですが、要は、同じ神様でつながっているユダヤ、キリスト教徒の女性との結婚は許されているということ。さらに、ムスリムの男性には、女性を正しい方向に導き改宗させることは可能という考えからで、女性にはその力がないから、男性は(仏教などそもそも認められていない宗教はもちろんのこと、ユダヤ、キリスト教であっても)必ず改宗しなければならないと定められているそうです。有名な、男性は4人まで妻を持てることや、男性が3回「離婚だ」と叫べば離婚が成立することなどと同様に、女性の立場は弱いです。時代背景を反映した教えであったわけで、現在では、一夫多妻を法律で禁じているイスラム教国もありますし、結婚する時点で、離婚の際の慰謝料まで契約するという考え方は、ある意味女性の保護になるのかもしれませんが、それでも、やっぱり男性の方が優位な宗教なのだと改めて感じてしまいました。

今日も外は曇り空。また、夜には大雨かもしれません。
雷の音がすごすぎると、怖くて読書にも身が入りませんが。

Tuesday, December 6

National Day receptions

昨日は、タイの国王誕生日祝賀レセプション。
この国でレセプションと呼ばれるものに出席して、驚くことはいろいろあります。
もうさすがに慣れましたが、欧米の常識からも日本の常識からも相当ずれています。

まず、前に文化行事について書いた際に触れたように、「主賓」制度。
文化行事でもセミナーでもレセプションでも、必ず、王族か政府高官(内容によってレベルは変わります。ナショナルデーだと大臣。)がGuest of Honourとして出席します。Royal Galaだとか、patronであるとか、何か理由があれば理解できるのですが、特に理由もなく、必ず主賓が存在します。この主賓が到着するまで、少なくとも30分、ひどいときは1時間近く待たされるようにプログラムが組まれています。偉い人というのは、どこでも最後に到着するものなので、まぁ、30分ぐらいは我慢できる範囲ですが。

主賓到着後、行事が始まります。

スピーチがあるのは、普通。宗教色が強い行事や、ムスリム国主催の行事では、コーラン。これも、理解できる範囲。ナショナルデーであれば国歌演奏、これも別におかしくありません。そういえば、「乾杯」はありません。お酒がでないので、乾杯の音頭とか、乾杯の挨拶というのは存在しないようです。その代わりなのか、非常によく行われるのが、ケーキカット。結婚式じゃあるまいし、と思うのですが、ホストとゲストが一緒にナイフを握って、ナショナルデーの場合だとたいてい国旗を模した巨大ケーキをカット。その前を政府お抱え新聞社・テレビなどの記者が囲み、大臣などの主賓とホストの顔をアップで撮影します。そのあと、「わざわざお越しいただいた」主賓に対する記念品贈呈。この一連の流れがだいたいワンセットとなっています。最初は?が飛び交っていても、こういうものだと思えば慣れてきます。とはいえ、ケーキカットの習慣はいったいどこから来たのでしょうか。主賓は大抵が男性、ホスト側も大半が男性。そうすると、男性同士か、あるいはそれぞれの奥さんを含めた2カップルがともにナイフを手にするのですが、おかしな感じです。

アルコールはないので、甘い飲み物と食べ物は必ずでます。欧米のreceptionsのイメージは、カナッペなどのfinger foodがでる程度のカクテルか、drinksのみ、だと思いますが、ここでは違います。開催時間にもよりますが、ある程度の量(質ではなく・・・)の食べ物が当然でるもの、と期待されます。各国のナショナルデーのレセプションのような場でも、なんと、200~400人程度のゲストが来るにもかかわらず、着席で行うことも多いです。確かに、焼きそばやら野菜炒めやらの食べ物を盛った大皿を手に持ったまま立って食べるのは結構疲れます。それに、歌や踊りなどのエンターテイメントがある場合もあり、これを静かに観てもらうためには、着席にせざるを得ないというのもあります。それにしても、一言で言うと、「あか抜けない」receptionではありますが。ただ、日本人の主催でも招待状にはreceptionとあるのに、実際いってみたら着席ディナーだったという経験をしたことはあります。そのとき、同じ場によばれていた英国人の知り合いは、receptionだから、その後のdinnerと掛け持ちできると思って(しかも開始時間よりだいぶ遅れて)来たら、いきなり、席が用意されていたため面食らっていました。食べ物をたっぷりださなければ、というのはアジア的・・・なのでしょうか。

開始も主賓を待つわけですが、当然、主賓が席を立つまでは、お開きになりません。偉い人というのは、最初だけ顔を出して退出するもの、と思っていたのですが、そういうことはなく、しっかり最後までです。このお見送りをして、それに引き続き、ぞろぞろと皆が出口に向かっていきます。

郷に入っては郷に従え、ですし、欧米の習慣がスマートだと思ってしまうのも偏見になってしまうかもしれませんが、とりあえず、主賓制度とケーキカットだけはどうかと思います。

Monday, December 5

Harry PotterとDance Show

日曜日の午後は、まだ観ていないといったら、ランチをしてから映画という話になり、うちで簡単なランチをすませて映画館へ。後かたづけをしてからでないと、アリが寄ってきては大変と思い、お皿洗いなどでバタバタしていたので、映画館についたときは開始時間を15分ほど過ぎていました。

日本と違って、CMはほとんどないので、他の映画の予告編3,4本とCM1,2本ですぐに本編になってしまいます。映画館は全席指定。席に案内されると案の定もう始まっていました。実は、一緒に行った友人は3回目! 本当にいいの?、と聞いたのですが、ハリポタ好きらしく、前作も何度も観たとのこと。スクリーンを観ながら、大丈夫、まだ始まったばかりだから、といわれ、観始めました。今回のものは、UではなくPG指定と聞いていたのですが、結構怖いシーンもあり、確かにちょっと今までよりは小さい子ども向けではなくなった気がしました。思った以上に長かったですが、長さは感じさせず楽しめました。

映画から戻り、夜は、ダンス・スタジオの3周年記念ディナー&ダンスのパーティーへ。フィリピンから特別によんだという、アマチュア部門のラテンダンスのチャンピオンという女性ダンサーのパフォーマンスが売り物。確かに彼女のダンスは際だって上手でした。スタイルもよくて、セクシーなダンスのコスチューム(絶対に検閲ではOKがでないレベルです)も似合っていました。

いつものパーティーはスタジオ内かホテルなのですが、今回は、土曜日にオープンしたばかりという、レストランの上のファンクション・ルーム。中央にダンスフロアを設置した形でした。金曜日までまだ工事が終わっていなかったという、何ともこの国らしいのんびりさ。それでも、それなりに使い勝手もよさそうな形にはできていました。食事、パフォーマンスが終わると、いつもどおり、ダンスフロアをオープンに。ディスコ音楽なども交えつつ、Swing、Cha Cha、Mamboなどの曲が途切れなくかかり、盛り上がっていました。踊っている男性のほとんどはインストラクター。女性のほうが圧倒的に多いので、適当に女性同士でペアで踊ってみたり、輪になって盛り上がったり、もいつものとおりでした。せっかく来たのだから、楽しまなければ、という人が多くて、「踊らにゃ、損、損」というノリです。

日曜日ということもあり、あまり遅くならないうちに帰りましたが、いい運動にはなりました。

Saturday, December 3

Capital FM

一昨日から、いきなりCapital FMが入らなくなりました。

なぜここで英国のラジオ放送が聴けるのかはよくわからないのですが、車を運転し始めてからしばらくして教わり、ずっと流しっぱなしにしていました。車を購入したときには、カーオーディオまで全く頭が回りませんでしたが、標準装備ではラジオとテープしかついていなかったのです。いずれにせよ、運転を開始してしばらくは、「余計な音」など邪魔なぐらい(キーを回してエンジンがかかった瞬間から緊張していて、アクセルを踏んで発進してしまったあとに、エアコンのスイッチすら入れる余裕がなかったので)でした。運転にだいぶ慣れた頃、ふと気がつくと、車の中が静か。そこで、助手席に乗ってくれていた同僚がラジオをセットしてくれ、それ以来、ほぼエンジンスタートと同時に流れる状況になっていました。

聴くともなく音があるという感じだったのですが、一昨日、いつものようにエンジンをかけたら、耳慣れないクラシック調のアラブ的な音楽が。こんな番組あったのかしら、と思っていたら、このチャンネルはdisconnectedだというようなアナウンスが間に入ります。衛星放送も電話も、ときどき切れるので、そのたぐいかと思っていたのですが、今日になっても復活しません。どうも、何かもっと根本的な問題のようです。これも検閲の結果・・・なのかどうかは、不明です。

そういえば、一昨日、今週末に開催予定だったインドネシアかどこかのポップスのコンサートも中止になったと報道されていました。報道には、内務省がsecurity reasonsで取りやめにしたとなっていたのですが、これとも関係があるのかどうか。

昨日、他に何か聴ける番組はないかと探してみたのですが、見つからず。今どき、テープなんて、1本も持っていません。早くもう一度Capital FMが聴けるようになればよいのですが。

Friday, December 2

子どもたちとChristmas carol

昨夜は、海岸沿いのヨットクラブでのクリスマス・キャロルにChiorとして参加。
基本は子ども向け、ファミリー向けのイベントなので、開始も終了も妙に早いのです。
それでも、もちろん、あちこちでワインやビール、リキュールの缶やビンが空いていましたが。

それにしても、久しぶりにこんなにたくさん子どもを見た、という感じでした。
サンタも海からボートに乗って登場。子どもたちはプレゼントを配られ、大騒ぎ。
expatクラブなので、ほとんどが白人の子か、あるいは白人・アジア人のハーフ、多少は中国系の純粋なアジア人顔をした子がいるぐらいです。アジア系とのハーフで多いのは、英国人系パパにフィリピン人系ママ。ハーフの子たちのかわいらしさのレベルは、やはり高いです。

クラブに到着してすぐとりあえずビュッフェの食事をしていたのですが、食べ終われば帰る人も出てくるため、サンタ登場後しばらくして、インターナショナル・スクールの子どもたちによる演奏が始まりました。その後、続いて、クリスマス・キャロル。

毎年同じようなものを歌うし、誰でも知っているということで、練習もなし。
確かに、ジングルベルや赤鼻のとなかいなど知っている曲も多かったのですが、その場で初めて渡された歌詞カードを目で追いながらとりあえず10曲ほど歌いました。知らない曲もそれなりに。最初、クリスマス・キャロルを歌うと聞いて、もっと、聖歌隊的なイメージを思い浮かべていたのですが、本当に気楽なものでした。

キャロルが終わるとこれも恒例ということでミンスパイが配られました。

多くのexpatたちは、今週から来週にかけて、クリスマス休暇に出発します。
次に会うのは1月なので、12月になったばかりですが、別れるときの挨拶は、Merry ChristmasにHappy New Yearまで付け加わってしまいます。

暑くて、いくらサンタが現れても、ミンスパイをいただいても、いまひとつクリスマスの気分になれなかったのですが、Hugを受けながら、そんな挨拶を交わすと、今年も最後の月に入ったのだなぁと実感しました。

Thursday, December 1

Kampong Ayer

Ayer=水。水の村、つまり水上集落。
現存の東南アジア最大の水上集落で、現在でも3万人以上が生活しています。
政府は、安全面、衛生面から、陸上への移住政策を推進し、そのための住居を建設、提供しているようですが、水上集落での生活に固執する人が多く、定住者はなかなか減りません。

観光地ではなく、普通の住民の生活の場なので、知り合いがいるか、ツアーに参加しなければ家の中にはいることはできません。そのため、今までは外からしか眺めたことはありませんでした。

昨日は、青年の船参加者のホームステイを引き受けている友人が、カンポン・アイルに夕方から参加者を引き連れて行くということで、合流させてもらうことに。

まさに、水上に建てられている集落なので、交通はボート・タクシー。総勢10人以上のかなりの人数だったため、2台に分乗。これが怖いのです。モーターボートは超猛スピード。茶色い水しぶきがかかるのもイヤですが、乱暴な運転に振り落とされないようにしがみつきたくなります。そこらのジェットコースターよりも、よっぽどスリリングです。時に悲鳴をあげつつ、目的地へ。一応、住所もあるらしく、ところどころにあるボートの船着き場には数字が。木造の桟橋、通路で各家はつながっています。集落なので、住居以外にも、学校、モスク、消防署(水の上でも火事は起こるのですね。)などがあります。

見せてもらったおうちは、非常に伝統的、典型的なタイプ。最新の立派な家では、クーラーも衛星放送もあると聞いていたのですが、そこまでではありませんでした。長屋スタイルの開放的なつくりとなっているおうちは、どこも照明で明るく、ファンが回り、テレビからはマレーポップスが流れ、造花、写真などとにかく派手でにぎやかなデコレーション。国王の写真もあちこちに貼ってあります。靴を脱いではいり、リビング、キッチン、ドアの向こうにはベッドルームがあるという感じでした。ベッドルームはさすがにドアと壁で遮られていましたが、そのほかはすべてつながっている状態。どこまでがひとつながりなのかよくわかりませんでしたが、隣近所は皆親戚のようです。1軒のうちに住んでいる人数は20人ぐらいといっていました。7人、8人兄弟姉妹は当たり前のこの国らしく、そのおうちにも6,7人は小さな子どもたちがいたでしょうか。ちなみに、トイレは自然なスタイル、つまり、そのまま川につながっている・・・そうです。試しに使ったらといわれましたが、確かめにはいきませんでした。このことは前から聞いていたからこそ、かなり必死に水しぶきをよけていたのですが。

その後、移動して、ウェディング関連用品レンタル業を営んでいるというおうち、というかショールーム(?)に。花嫁・花婿が座る金のイスとそのイスを置くためのステージとバック、これまた金のベッドなど。いずれも、実際の結婚式や関連儀式に使うもので、カンポン・アイルの住民がレンタルして自分の家に運んで使うということでした。式場ではなく、こういうビジネスもあるのだ、と妙に納得しました。

あたりはすっかり暗くなり、木造の桟橋や通路はさらに歩きにくくなっていました。朽ちて穴や隙間が大きくなっているところもあり、慣れていなければ危険です。それでも、水に落ちる人はいないということでした。小さな頃から住み慣れているのと、酔っぱらうことがないからでしょうか。

夜間にボートタクシーを呼ぶときは、懐中電灯で合図をするそうです。確かに、対岸でも灯りがちらちらしていました。恐怖のボートで再び陸地側に戻り、その後、夕食をとるため、典型的なマレー料理レストランへ。

ここで、初めて、アンブイヤというサゴをお湯でといたどろっとしたノリ状のものを体験。正確にいうと2回目でした。一度、一口だけ口に運んだのですが、ソースがドリアン味。結局飲み込めなかったのです。この、アンブイヤ、割り箸を途中まで割ったような形の先割れ竹箸のようなものでクルクル巻いて、ソースをつけていただきます。ドリアン・ソースではないことを念押しして一口。ソースはかなりスパイシーでしたが、食べられないほどではありませんでした。ただ、結論からいくと、典型的マレー料理はあまり好みではありませんでした。オープンハウスでいただくときなどは、意外とおいしいと思うこともあったのですが、このレストランにもう一度来る気はしませんでした。味付けもあるのですが、ものによっては、お肉やお魚がかなり臭いのです。それでも、昨日は、pay dayだからということで、非常に混んでいました。混んでいるということは、やはり、この味が好まれているということなのでしょう。

その後、さらに、夜だけ開く遊園地に連れて行くというので、そこはパスして帰りました。

カンポン・アイルとアンブイヤで十分。いい体験ができました。
水しぶきはよけたとはいえ、早くシャワーを浴びたかったというのもありましたが。