Friday, March 31

1ヶ月

 明日から4月。4月末に数日一時帰国することを考えると、本帰国まであと実質1ヶ月を切りました。

 夏物しか持ってこなかったので比較的荷物も少なく、一時帰国と本帰国ですべて持ち帰る予定。船便もアナカンもなし、のつもりです。持ち帰っても、もう、置くスペースもないですし・・・。この週末には、スーツケースにとりあえずモノをつめてみて、帰国準備というより、予行演習(?)です。

 必要だと思って持ってきたものの全然使っていないものも。ひとつは蚊取り線香。日本のものが一番よい、と勧められ、時季はずれの10月末に慌ててあちこちのドラッグストアに探しにいき、虫除けスプレーとともに購入しました。日本式12階のせいか、巨大ハチはよく来るのですが、蚊に悩まされたのは1回のみ。珍しくずいぶんとアルコールを飲む機会があった夜、眠りも浅かったのでしょうが、夜中にかゆくて目が覚めると、数カ所蚊に刺されていました。これ以外は、アパートにいて刺されたことはありません。一軒家に住んでいたら必需品になっていたのだと思います。もうひとつは、まともな医療機関がない、と聞いて、一式持ってきた救急箱セット。風邪はしょっちゅうひくので、風邪薬と痛み止め、解熱剤だけはあっという間になくなりましたが、それ以外は一体何が入っているのか忘れてしまったという状態。いってみれば、ある意味、保険と同じようなものなので、使わないで済んでよかったというものばかりかもしれません。

 家族持ちの同僚たちが、そろそろ船便を、段ボールの山が、といっているのを横目に、まだのんびりしています。

 1ヶ月はあっという間。やり残したこと、というのを探すのも難しいところですが、楽しんで、よい思い出とともに帰国したいと思います。予想外に帰国が早まってやりかけになってしまったことは結構ありますが。最近、帰国が近づいてきて、What will you miss?などと聞かれることが多いです。もちろん、I will miss you! とは答えますが、それ以外に何があるでしょうか。missするほどではなくても、よかったと思っていることなど、改めて書いていきたいと思います。来たばかりの頃の帰りたくて仕方がない後ろ向きな姿勢から、ずいぶん前向きに楽しめるようになれたこと、これだけでもよかったと思っていますが。

Thursday, March 30

Pasta & Karaoke night

 こちらで結婚しているフィリピン人の友人に、パスタ・パーティーをするからと誘われてお邪魔しました。

 ここと思われるおうちに到着したものの、玄関は開けっ放し。中からは声が聞こえるので、何度が声をかけたのですが気づいてもらえず。仕方がないので、靴を脱いで勝手に上がり、もう一度声をかけるとようやく友人がキッチンから現れました。キッチンにはいると、彼女以外に3人。誰が来るかも知らずに来たのですが、聞こえてきたタガログ語(と思われる言葉)と英語に、最初は、アマ(メイド)と話しているのかと思ったのですが、顔を見て、この日集まったのは、全員フィリピン人仲間であることがすぐにわかりました。友人の仕事関係で短期間滞在中というひとりをのぞき、全員がマレー系と結婚し、イスラム教に改宗しているマダム系フィリピン人でした。

 フィリピンは人を使える側と人に使われる側で明らかな違いがあります。イメルダ夫人に象徴されますが、貧富の差の激しさを感じます。時に、タガログになってしまい、まったく話題についていけなくなることもありましたが、パワフルな彼女たちに圧倒されつつ、おもしろい夜でした。パスタはゆでておいてあるので、小学校の給食スパゲッティー。それに、妙に甘辛いソースで、お食事は今ひとつだったのですが。

 何かとお金の話はでてきます。○○ペソといわれても、ピンと来なかったので、適当にうなずいていただけですが、おもしろかったのが、カジノにはまっている母親、親戚などの話。シニア世代は、カジノ好きが多いようです。収入のある子どもや親戚にお小遣いをせびり、お小遣いを減らされれば、「私の尊厳」が保てないと主張するとか・・・。カジノ狂のおじさんのひとりは、50代で、カジノで突然死したそうです。ご本人にとって、本望だったのかどうかまではわかりませんが、周囲はもちろん大変だったそうです。それなのに、カジノよりもっと悪い!と言われたのが、ballroom danceにはまるシニア女性。これがまた、多いそうです。こちらでのダンスのインストラクターは例外なくフィリピン人。教える側、海外(外国人)需要ばかりと思っていたら、国内での需要も結構あるようです。レッスンにお金がかかり、チップを渡し、と切りがないと批判。カジノだったらたまには儲けて帰ってくることもあるのに、ダンスだと使う一方だから、と。これがまた、ボーイフレンドの役割も果たすことも多いらしく、いわゆる「若いツバメ」というのでしょうか。カジノよりは、ダンスの方が健康にもいいし、若返りもはかれて(?)よいのではないかとも思ったのですが、ここは黙って聞き役に徹しておきました。

 お食事が終わると、カラオケに移りました。フィリピン製のカラオケの機械。マイクをテレビにつなぐだけのシンプルなもの。タガログと英語の歌が入っています。バックに映るのは、フィリピンの自然や観光名所なのでちょっと楽しめました。世界一小さな猿や、マルコス時代の遺産の島といわれているキリンなどの野生動物がいる島、仮装フェスティバル、一面につづく棚田など。ballroom danceを批判した彼女は歌って、踊ってノリノリ。アペリティフに私が持ってきた梅酒を少し飲んだだけですが(改宗していてもお酒は飲んでいるようです)、アルコールなどなくてもいつでも十分大騒ぎできるのでしょう。

 まだまだマイクを離す気配はなかったのですが、翌日も気になり失礼しました。お店経営か自称desperate housewifeのマダムたちの朝は遅いようです。

 それにしても、今までフィリピンの人は、皆ダンスも歌も上手、と思いこんでいましたが、そうでもないなぁということに気づいてしまいました。

Wednesday, March 29

お花見

 テレビで千鳥ヶ淵の満開の桜を見て、今年もお花見シーズンを逃してしまったのがとても残念です。

 去年の今頃は、短期間一時帰国していたのですが、まだ咲いていませんでした。今年は、開花も早くしかもその後花冷えで結構長く楽しめるとか。うらやましいです。さすがにGWでは、来年に期待するしかありません。先日も、今は「桜がきれいなんでしょ」と聞かれました。桜の時期に日本に行きたいというのもよくいわれます。そのたびに、毎年時期がずれて、しかも、時には数日間しか楽しめないから、短期間の滞在だと難しいという説明をします。開花予想に大騒ぎ、お天気に一喜一憂。季節がない国で生まれ育つと、この感覚、とてもつかみにくいのではないでしょうか。

 花火にしても桜にしても、その命が限られているからこそ、余計に美しさを感じます。

 花の命は短い、といえば、先日遊びに行ったKKのあるサバ州など非常に限られた範囲にのみ生育する世界最大の幻の花、ラフレシア。つぼみの状態で花開くまで9ヶ月もかかり、実際の花は数日間のみ。すぐに枯れて腐ってしまうそうです。ラフレシアお花見ツアーなどもありますが、必ずしも見られないというか、見られないことが多いらしく、事前に咲いているかどうかを確認してからツアーも催行するということでした。もちろん、前回は、時間がなくて見られませんでした。わずかな間しか見られないという意味では、桜と一緒。ただ、こちらは、ジャングルの中でひっそりと育ち、でも、花開いたらその赤くて斑入り模様(毒キノコのイメージですね)の巨大な花弁を思いっきり広げ、腐肉の匂いでハエをおびきよせ受粉(食虫植物かと思っていましたが、違いました)。いろいろと飲み込んでしまいそうな勢い。強烈な個性の一輪は、ジャングルの中でものすごい自己主張をするわけです。珍しいことは間違いないですが、これを美しいと表現するかは・・・。一度は見てみたいと思いますが。

 桜は群の美しさ。川やお堀沿いの桜並木、上から見たら公園を覆い尽くす雲のような桜。バレエの群舞のようなものではないでしょうか。英国などで1本だけ満開に咲いている桜を見ても、あまりときめきません。美しいとは思っても、やっぱり、一面の桜に囲まれなければお花見の気分にはなれません。今から早すぎますが、来年こそは。

 

Tuesday, March 28

ケーキと隠れキリシタン

 週末の続き。

 土曜日の夜、持ち帰ったwedding cakeは、翌日の日曜日の遅い朝食に。その後、日曜日なので教会へということで、結婚式があった小さな教会の英語のserviceに出席。クリスチャンではないですが、ミッションスクールだった中・高時代にはカトリックのごミサに、そして、その後も英国でたまにアングリカン・チャーチのserviceに行くことはあったので、出席することそのものに違和感はないですし、宗派は違ってもどこでも暖かく迎えてくれるのがキリスト教のよいところだと思っています。ただ、勧誘を受けたり、聖書をプレゼントされてしまったり、信仰に関する議論を持ちかけられたりすると、正直なところ、ちょっと居心地の悪い気分です。キリスト教の精神は素晴らしいと思うのですが、お寺でも神社でもお祈りするのはごく自然、「神頼み」となれば、あらゆる神様にお祈りしてしまいます。一神教よりも、日本古来のヤオロズの神様仏様。ある意味、典型的な、宗教心の薄い冠婚葬祭仏教徒。教会に行くことにも慣れ親しんでためらいもなく、教会のほうが神社仏閣よりも親しみすら感じるときもあるのですが、これでは、どちらのグループにも入ろうとして入れない「コウモリ」なのかな、とも思います。

 小さな街なのに、Shellのexpatと中国系が比較的多いところのせいか、モスクより、各宗派の教会が目立つ気がしました。この国での国教はもちろんイスラム。一応は、信教の自由を謳っていても、形式的。実際には、かなり大変なようです。登録されている数少ない教会以外の場所でのmasやservice等宗教的な集まりを行うことは禁じられています。それでも、「教会」として認められている建物はわずか。認められていても、首都のほうでは、普通の家のような感じで目立たない建物であることも多いそうです。以前聞いた話で、bible readingのような集まりの時には、必ずケーキを用意するといっていました。もちろん、wedding cakeではありません。「birthday cake」です。もし、当局への通報があって踏み込まれたとしても、ケーキがあれば、今日は○○さんのお誕生日なのでみんなで集まってお祝いしていました、という言い訳をするためだそうです。冗談かと思いましたが、本当だと言っていました。それぐらい、慎重にする必要があり、そして危険である、ということです。

 まるで、隠れキリシタン、のようです。もちろん、踏み絵はありませんが。それに、christianだけではなく、同じことは他の宗教にもいえます。中国寺なども、真っ赤な色で目立ち明らかにわかるものは国中でもひとつだけ。あとは、普通の家のような形だそうです。

 wedding cakeの朝食で始まった日曜日の締めくくりは、有名なkolomee。スープなしの細いちょっと縮れた麺にチャーシューなどを載せたもの。この国では珍しい、屋台の集まった場所(ホーカー・センター)に連れて行ってもらいました。友人(インド系)の友人(中国系)のお勧めでした。ちなみに、友人の中国系の友人たちはすべて教会つながりです。kolomeeは何度か食べたことはあるのですが、確かにここのものは今までで一番おいしかったです。麺もチャーシューも手作りで、普通よりも脂っこくなく、お持ち帰りする人が多いというのも納得です。夕方にこれを頂いて、月曜日からの仕事のために戻るという友人の友人(原住マレー人であるイバン族)の車に乗せてもらい帰宅。 彼女の一家もキリスト教に改宗済み。

 1日半ほどでしたが、いろいろな体験をし、たくさんの人に会い、そして少し複雑な思いも感じた週末でした。

Monday, March 27

Chinese Wedding

 土曜日、chiorを紹介してくれた歌の上手な友人が、教会での結婚式で歌うからよかったら一緒にと誘ってくれました。というのも、その場所が、車で2時間弱、石油ガスの産出で有名なところ。1年ちょっといたのに、通り過ぎた程度で一度もきちんと行ったことがありませんでした。帰る前に、せっかくだから、と思ってくれたようです。

 まったく知らない人の結婚式に出るのは、以前、マレーの結婚式で経験済み。教会だったら、いずれにせよオープンなので、まぁお邪魔しても差し支えないだろうと思い、行くことに。日帰りでももちろん行けるのですが、彼女はもともとそちらの出身。知り合いのおうちに泊まるからといわれて、お泊まりグッズも準備して出発。

 車の中で、結婚するのが中国系のカップルだということを知りました。教会に到着し、簡単なマイクテストをしたあと、彼女は着替え。教会はクーラーなし。窓は開け放され、ファンが回っていますが、人が入っていると相当暑いです。

 一度、中国と英国と日本のミックス・スタイルの結婚式に出たことがありますが、中国系クリスチャンの結婚式は初めて。いろいろ驚いたことがありました。まずは、新郎新婦が思いっきりポーズをつけて撮った巨大写真が2枚、造花やリボンの飾り付けとともに、教会の前面に張り出されています。中国系の人たちは、結婚式の前に写真をとって、新聞に「結婚します」とか「おめでとう」とかいう巨大広告を掲載しますが、それをそのまま引き延ばして張っているよう。うーん。写真好きのこの国ではきっと普通なのでしょうが・・・。次に、教会に何人も白っぽいワンピースやツーピースの人たちがいたこと。これは、聖歌隊の人たちだったのですが、白は花嫁だけでは?と思ってしまいました。白と(派手な金や黄色のネクタイ!)で統一というのがコスチュームだったようです。参列者の服装も、かなりカジュアル。コットン素材のワンピースはよい方で、ごく普通の格好をしている人も。新郎新婦の親族ですら、ネクタイなしのカジュアルスタイルなのにはちょっと驚きました。まぁ、昼間だし、暑いですから仕方がないですが。その一方、教会だから肩をだしてはまずいかな、と思っていたのですが、その心配はなく、ノースリーブは多数。そんな観察をしているうちに、まずは、groomの車が、そしてbrideを乗せたお花やリボンで華やかに飾り付けた四駆が到着。荘厳な雰囲気はあまりなく、お式が始まりました。リングボーイやフラワーガールの子どもたちがぞろぞろと歩くあと、新婦の父に手を引かれた花嫁がバージンロードを。

 中国語のみのときもあって、よくわからないときもありましたが、始まってまたもや驚いたのは、神父様がカラオケよろしく聖歌を歌い出したこと。お説教も結構長かったですが。それに、友人のソロ・リサイタル状態の歌が2曲、聖歌隊、両親への花束贈呈、キャンドル点灯など。本来の結婚の誓いや指輪の交換、誓約書へのサインももちろんあったのですが、途中で拍手ありのかなり盛りだくさんの結婚式で、なんだか、披露宴の一部が混じっているような印象でした。 教会内の造花やリボンの飾り付けから何から何まで手作り感あふれるアットホームなお式ではありました。

 お式が終わって、教会のすぐ横の野外でtea party。サンドイッチやサテーなどは別に目新しくないのですが、もちろん、結婚式といえば、ウェデイングケーキ。本格的に、5段重ねに生花をあしらった生ケーキでした。バタークリームで外見は真っ白なのですが、切ってみると中はいつものカラフル・スポンジケーキ。グリーン、ピンクなどのレイヤーは最近では見慣れた色合いです。フルーツケーキにアイシング、であれば、相当持ちますが、生ケーキ。こんな巨大なものをどうやって食べきるのかしら・・・と心配になってしまいました。

 teaが終わり、結婚式はおしまい。ただ、これで終わりではありませんでした。その後、せっかく来たからと観光客らしく小さな街中をドライブで案内してもらい、なぜか太極拳の練習に加わってみたり、ビーチに夕日を見に行ったりして、泊めていただくおうちに戻ると、友人の携帯にbrideのお姉さんから、「なんで、レセプション(ディナー)の会場にいないの?」と電話。招待されていない、といっているのに、結局今から来なさいということで、1時間半ほど遅れてディナー会場へ。経験上、おそらくまだほとんど始まっていないだろうと思ったのですが、予想通り。中華のコースは前菜とスープが終わったところ、お腹も空いていないので十分ちょうどよいタイミングでした。brideは紫で長いトレインのカクテルドレス。途中で、クリーム色のドレスにお色直し。チャイナドレスではありませんでした。遅れていったのでスピーチがあったのかよくわかりませんが、途中で余興らしい、カラオケやバンド。それに、中国式お決まりの乾杯(でも、お茶かソフトドリンクでした)。

 ひな壇はなく、花嫁花婿も丸テーブルのひとつで、ステージになっている部分には、ウェディングケーキが飾られていました。昼間の残り4段と、さらにピンク(!)と白の3段ケーキ。ケーキづくしです。なんだかよくわからないけれど参加した状態でしたが、さらに、帰りがけ、白いケーキの一番上を持って帰ってと渡されました。一番上とはいえ、かなり大きなもの。箱もなく、手にずっしりと重い白いケーキを捧げ持って帰っていく姿はかなり笑えたのではないでしょうか。

 見知らぬ人とはいえ、晴れの席というのはやはりよいものですが、それにしても、長い1日でした。

Friday, March 24

帰国

 今日、正式に帰国という辞令がありました。5月3日に帰国しようかと思い、フライトを手配中です。GWの逆路線なので、それほど混んでいることもなく、GW明けから出勤になるので、よいタイミングといえばよいタイミングです。

 いよいよ、カウントダウン。そう思うと、にわかに忙しい感じです。

 昨夜は、1、2週間で戻るといって2ヶ月以上戻ってこなかったインストラクターがようやく帰ってきたので再開したダンスのレッスン。その後、友人と夕食に。Snow fish(白身のお魚。日本語では何?)をいただいたのですが、妙に弾力がありすぎて固かったのと、ソースがスパイシー過ぎたのがいまいちでした。携帯などをいれたバッグがイスから落ちたのですが、いつものことと思い、帰宅。あれっと思ってみると、何とディスプレイ部分に大きなヒビ。今までよく携帯を落としていたのですが、今回は、よっぽど打ち所が悪かったらしいです。レストランの床だったので固かったのと、おそらく、一緒に入っていた頑丈で大きなアパートの鍵がディスプレイ部分にぶつかったようです。職場のものなので、もうじき後任にも引き継がなければならないし、と大慌て。幸い、中身には異常がなく、外側だけ新しいものを買ってもらってその分を弁償するだけですみました。こちらでは、携帯の本体価格がかなり高いのです。ごくシンプルなものでも2万円以上。この値段を出せば、日本だったらものすごい最新のものが買えてしまいます。しかも、日本や英国では、契約すればタダでもらえる機種も結構多いのに、と思ってしまいます。先日のカードに引き続き、ちょっとしたトラブルが多く、でも、それが皆ちょっとしたもので済んでいるのですが、これ以上トラブルなしに無事日本に帰れるだろうか・・・とちょっと不安になります。

 気を引き締めて、立つ鳥跡を濁さず、で日本に帰れるようにしたいと思います。

Thursday, March 23

感謝の夕食会

 異動の時期。この3ヶ月間ぐらいで1/3ぐらい人が入れ替わります。

 月曜日には、歓送迎会があったのですが、昨夜は、そのうちのひとりが単なる異動ではなくて定年退職されるということで、「感謝の夕食会」をニョニャ料理(マレーと中華のミックス)レストランで開いてくださいました。

 今のところ、歓送迎している側なのですが、私自身もカウントダウン。予定外に早い帰国になるので、あちこちのダンス・スタジオでのパッケージを使い切らなければとせっせと通っています。昨日も仕事を定時で切り上げ、エアロビに行き、戻ってカラスの行水状態でシャワーを浴びてから、レストランへ。このレストラン、ちょっとわかりにくいところにあるのです。何度か行ったことはあるのですが、夜にひとりで行くのは初めて。案の定、近くまでいったのに道に迷ってしまい、ただでさえ少し遅刻気味だったのが、10分ぐらいさまよったため15分ほど遅れてしまいました。運転している途中で携帯が鳴り、「すみません、迷子になっていますが、もうすぐ着きます!(といいつつ、自信はなく・・・)」と叫んでしまいました。1年前にはレストランの場所がわからず、送別会に参加できず帰った記憶がよみがえります。ムリにエアロビに行かず、誰かと一緒に行くべきだったと思っても、もう後の祭り。

 それでも、何とかたどり着いてほっとしました。ミニタコとクラゲの前菜、ココナツの殻にはいったエビのカレー、巨大ナスのあんかけなど、ちょっと珍しいセレクションでおいしいお料理を楽しみました。最後に、花束と色紙を渡し、お開き。最近、ちょっと飲み過ぎ食べ過ぎが続いているので、それも、せっせとエクササイズに通わなければならない理由でもあるのですが。

Wednesday, March 22

トースター

 平日の朝は忙しいもの。誰でも、決まった手順があって、それが崩れると慌ててしまうのでは。

 今朝、いつものとおり、身支度を整えたあと、電気ポットでお湯を沸かして、ヨーグルトにプルーンをいれて、あっという間に沸いたお湯で紅茶を準備したあと、冷凍庫から出したパンをトースターに・・・。

 こちらのトースターの主流はいまだにポップアップ。本当は、食パン以外も温められるオーブンスタイルが好きなのですが、最初にあったトースターが壊れていて、すぐに新しいものに取り替えてもらったので、新品だから文句も言えないと思い使っていました。ごくごくシンプルな、時間を示す目盛りをセットしてレバーを下ろすだけのもの。それが、今日は、下ろした数秒後に、跳ね上がりました。もう一度試しても同じ。コンセントを隣に移しても同じ。もしや・・・と思い、冷蔵庫を開けると真っ暗。

 毎日同じように使っていて、しかも、そのとき使っていた電化製品は常時使っている冷蔵庫とトースターのみ。ブレーカーではなくて停電だと思い、紅茶作ったあとでよかったと思いつつ、とりあえず、自然解凍されたパンとともに朝食。それでも、「停電」 は終わる気配なし。本当に停電なのかと疑問も感じ始め、ベッドルームに戻ると電気がつきます。ということは、ブレーカー。ブレーカーのある場所はわかっていたのですが、開いてみるとものすごい数。主電源らしいもの以外に、小さなものが30ぐらい。極めて機械ものに弱いため、迷わず、助けを求めることに。冷蔵庫の電気が流れていないということは、大した中身は入っていないにしても、朝の内に解決してしまわなければ大変なことになります。運良くエントランスホールのあたりで、スタッフが掃除中。そのまま部屋まで来てもらえました。最後に使った電化製品はと聞かれて、トースターだというと、いくつかスイッチを確認して、すぐにブレーカーをあげてくれました。トースターの故障が原因でブレーカーが落ちたようです。

 それにしても、まだ1年ちょっとしか経っていないトースター。こんなすぐに壊れるとは思いませんでした。見た目はレトロ・モダンというか、シルバーでちょっと丸みを帯びたステンレス製。いちど、長く空けていたあと、トースターを使おうとしたら中から小さなgeckoが飛び出してきて叫んでしまったことがありましたが、それ以外は特にトラブルもなし。というか、1年しか使っていないトースターでトラブルなど普通考えられません。そういえば、掃除機も調子が悪くて取り替えてもらったら、その新品がまたおかしくて、2度、3度と交換したあげく、1、2ヶ月、ごく普通に使っていたら、先日、小さなタイヤ部分が欠けてしまいました。こういうとき、日本やドイツなどのしっかりした家電の素晴らしさを再認識します。

 あと、1ヶ月半ほどですが、パン党の私にとって、トースターなしでの生活は困ります。さっそく、修理などを依頼する紙にトースター故障と書いてメンテナンス・ボックスにいれてきました。明日の朝までに新しいトースターが届く可能性は低そうですが。

Tuesday, March 21

韓流

 日本での韓国ブームはいまだ衰えないという感じだと思いますが、実は、こちらでも結構、冬ソナなど、韓国ドラマは人気。私自身は、冬ソナさえまともに観たことがないのですが、日本のドラマとともに海賊版DVDショップには韓国ドラマもずらーっと並んでいます。

 今週末には、韓国の女優が二人、友好親善大使として来るらしいのです。冬ソナを見ていないとはいえ、チェ・ジウぐらいはもちろんわかりますが、今回来るのは、ぱっと見た感じ、日本で話題になっていなさそう。「Jewel in the Palace」のヒロインとなっていましたが、人気ドラマなのでしょうか。だいたい、日本では、韓流にはまっている大半が女性。チェ・ジウはともかく、圧倒的にヨン様などの俳優が人気なワケで、女優二人というのもどうなのかしらと思ってしまいます。

 最近、韓国からはチャーター直行便がちょくちょく飛んでいて、大量なツアー客がゴルフをしにやってきます。それ以外は、車や電気製品の韓国製があるぐらいのイメージです。そういえば、韓国の化粧品がショッピングモールにはいったので、一生懸命プロモーションしていますが、あまり売れている気配はありません。車などは、日本製より少し安いというので売れてはいるようですが。韓国料理レストランは一軒のみ。辛いのが苦手なため、まだ試していませんが、韓国人女性がシェフなので「本場の味」だそうです。自分の奥さんのお料理よりもおいしい、という失礼なことを韓国人の知り合いはおおっぴらに言っていました。本当だとしても、ちょっとこの場でこういうことをいうのはどうか・・・と思われる場面だったのですが。

 それはともかく、韓国ブームがこれからもっと盛り上がっていくのかどうかは興味深いです。 

Monday, March 20

KK

 金曜日の夜から月曜日のお昼まで、KKに行ってきました。

 KKというのは、聞き慣れないのですが、こちらではとてもメジャー。KKは知らなくても、KLという言葉はもう少し一般的かもしれません。JBはKKよりマイナー。マレーシアというのは、都市の名前が2語で長いことが多いので、イニシアルで呼ぶのが「通」のようです。KKはコタキナバル、KLはクアラルンプール、JBはジョホルバルのことです。

 KKまでは、飛行機だったら飛行時間はたったの20-30分。一応、国際線になるので、搭乗時間までの手続きや待ち時間のほうがよっぽど長いです。ジュースが配られて飲み終わり、入国手続きのカードを記入していたらもう下降を始めるという感じです。

 KKには、最近、日本からの直行便が結構あるので、日本人ツアー客が増えています。ダイビングをする人には割となじみがあるところかもしれません。マレーシアは観光振興に国を挙げて取り組んでいるので、KKにももっと日本から来て欲しいでしょうし、これからどんどんプロモーションしていくのではないでしょうか。リゾートなので、海と自然以外には何もないといえばないのですが、海岸沿いにリゾートホテルがいくつか、市内にもシティホテル、ビジネスホテルなどがいくつもあります。海は澄んでいてとてもきれい。ちょっと覗くと、お魚がたくさん泳いでいるのが見えます。ダイビングしなくても、いくつも浮かんでいる近くの島まで渡れば、シュノーケリングでも十分楽しめるそうです。また、地域で一番高い4000mを超えるキナバル山など、サバ・サラワク地方の登山、トレッキングなどの基点にもなっています。幻の花、ラフレシアは、テングザルなどともにこの地域にしか生息していない植物です。9ヶ月もかかって花開いたら1週間。なかなか見るのは難しいようです。私自身は、海にも、プールにすらはいらず、山に登ることもなく、テングザルと蛍を見に行くリバークルーズ以外は、マーケットなどをフラフラしただけでしたが。きれいな海を見ながら、のんびりするというのもたまにはいいものです。

 もちろん、アルコールもOKです。タクシーも簡単につかまって移動も楽。日本語の案内なども少しずつ増えているようです。観光という点では、やはり、完全に何歩も先を行っています。ただ、思ったよりもSpaやマッサージはなく、これだけは、こちらのほうが質・量ともによさそうです。

 短い滞在だったのですが、楽しかったです。ただ、実は、金曜日の夜、到着したときにトラブル。ATMでお金をおろそうとしたら、ATMの機械がカードを飲み込んでしまいました。PINナンバーはあっていて、画面は先に進んでいたので、何が悪かったのかはっきりしないのですが、用意されていたお札とあわない金額を打ち込んだぐらいの操作ミスだったと思います。それにしてもお金が出てこない上に、カードまで返却しないとは。結局、日本の銀行に連絡してカードはストップしたのですが、果たして、現地の銀行からカードが送り返されてくるかは不明です。また、2日後に電話するようにといわれているので、電話をしないといけないのですが・・・。このまま放っておいて、日本で再発行手続きをとってほうが楽かもしれません。

 トラブルはありましたが、リゾートとしてはまぁお勧めできるところだと思います。Spa好きの私としては、舞踊など文化も楽しめるバリのほうが好みではありますが。

Friday, March 17

手足口病

 最近、かなり流行っていて、小学校、幼稚園、保育園がずっと閉鎖中。子どもを対象にしたイベントも軒並み中止。

 小さい頃、小学校の同級生が手足口病にかかったという記憶がうっすらとあるものの、麻疹や水疱瘡と同じレベルで、しかも、みんながかかるものでもなく、そんな大事だとは思っていませんでした。日本でも手足口病が大流行した年もあるようですし、インフルエンザも流行れば大事。今、まさに鳥インフルエンザは大騒ぎされているわけなのですが。一般的に、手足口病で死に至るということは少ないようですが、亡くなった子どもがでてきたので、これ以上広まらないようにということで政府が慌てたというのが現実。国営プールも閉鎖されています。病気の子はもちろんですが、元気な小さい子どもたちは、人が集まるところには連れて行けないということで、おうちの中に閉じこめられているよう。日本に比べれば広いおうちばかりなのでまだよいのですが、子どもたちも親もストレスがたまるでしょう。 学校閉鎖からそのまま1週間ほどのschool holidayに入ってしまうので、この間に落ち着いてきて、休暇明けには平常通りに戻ればよいと思います。

 普通は、ほとんど大人はかからないらしいので、個人的には心配する必要もないのですが、ここ数日風邪気味なのと(手足口病の症状ではもちろんありませんが)、最近、病気の話題が多いのが気がかりです。
 

Thursday, March 16

Guitarist

 昨夜は、Music Societyのコンサート。ギターのソロだったので、ぜひとも行こうという感じではありませんでした。それでも、誘われていってみると想像以上の入り。ギターを習っている子どもたちなどもいたからのようでした。

 Guitaristは世界中ソロで演奏旅行をしている英国人。オリジナル曲が大半で、バッハやガーシュインなどメジャーなものからフィンランド、インド、アラブ風など様々なアレンジ・オリジナル曲を取り混ぜ、分類の難しいフュージョン・スタイルの演奏でした。個人的には、フラメンコ・ギターが好きなので、伝統的なフラメンコ・ギターの曲のアレンジがなかなかよかったです。合間に挟むトークもおもしろく、(ある意味、ここに近い)中東の国で演奏したときの体験など、笑ってしまいました。音響がとてもよい立派なコンサートホールにはテレビ中継のクルーも入って大入り。でも、ライフルを持った兵士や警官たちも立っていたそうです。なぜか演奏後に質問タイム。結婚してますか、年齢は?という演奏と全然関係のないプライベートな質問(これも感覚が似ています)とともに、銃を持った警官が、「English man! What do you think of the situation in Iraq?」と聞いてきたそうです。冷や汗がでたでしょうが、政治的な発言は一切ダメといわれていたので、その質問に対しては、今この会場にいる皆さんとまったく同様に感じています、といって切り抜けたそうです。言論の自由のないことを逆手にとりユーモアをもって、という感じでしょうか。

 ギターというのは、イメージなのかもしれませんが、とてもメッセージ性の強い楽器である気がします。別の中東の国で、「English men with guns bring war」といわれたのち、「English man with a guitar brings peace」といわれた話は、何かその象徴のようでした。

 楽器ひとつで、人々に喜びや笑顔を与えられるというのは、素敵です。

Wednesday, March 15

スモークサーモンとチーズ

 昨日は、最後のフランス語レッスンと張り切っていったのに、ちょっと遅れて着いたのに私だけ。もうひとり来たのですが、2人しか生徒がいないので、結局30分くらい待っておしゃべりしたあとキャンセル決定。最初は7人のクラスだったらしいのですが、ひとり抜け、ふたり抜け、そしてたいてい遅刻。遅刻は、仕事のせい、ラウンドアバウト周辺のものすごい交通渋滞のせいも多いのですが(といいつつ、職場から直に来ないで着替えていて、仕事がといわれてもどうかと思いますが)、なかなか最後まで続かないようです。ちょうど、そのあとに、急な夕食に誘われていたので、まぁいいかとあきらめました。

 英国人の友人が、仕事のパートナーのスウェーデン人のところでスモークサーモンをいただくというのに、連れて行ってもらうことに。スモークサーモンをたたきのような感じに崩して、オニオン、ハーブ、スパイス、ウォッカなどで味付けしたものがひと皿目。それに、チーズ。ディナーというほどではなく、ワインのおつまみという感じでしたが、サーモンもおいしく、チーズ好きの私は、ちゃんとしたチーズボードにチーズナイフで数種類が出てきたのがうれしかったです。チーズは1種類だけスウェーデンのものでした。名前は忘れてしまいましたが・・・。大学時代にスウェーデン人の友人が、ミートボールを作ってくれたことを思い出して、そんな話題を振ると、隣にいた男性はうちの母のレシピと一緒だ、といっていました。スウェーデン料理は結構好きなので、日本でも何度かスウェーデン料理レストランでスモーガスボードや暖かいお料理をいただいていましたが、このミートボールは家庭の味という感じのお料理だったようです。

 男性のひとり暮らしらしいといえば、らしいのですが、リビングの横のお部屋には、プール台。それにあれっと思ったら、先日、Alliance Francaiseで展示販売されていた抽象画が目に入ってきました。聞いてみると、なんと、4点も購入したそう。ディナーテーブルに置かれたキャンドルスタンドもいわゆる「燭台」というタイプで、インテリアにはいろいろとこだわりがありそうでした。

 なんとなく、フランスつながりの会でした。

Tuesday, March 14

Francophonie week

 昨日から、Francophonie weekが始まり、昨夜は、そのオープニングイベントにいってきました。

 フランス語の映画を上映するだけ、といってしまえばそれまでですが、ホテルに併設された映画館のロビー部分でレセプション。Alliance Francaise主催のこのイベント、当地でのFrancophonieということで、ベトナム大使が仏・英両方でスピーチ。あとは、カナダ、カンボジア、ラオスらしいのですが、実はラオスがFrancophoneだという認識がありませんでした。ベトナム大使も、英語のほうが流暢でした。

 スピーチなどのセレモニーが終わり、軽食をつまんだあと、子どもたちのフランス語の歌、そして映画。子どもたちはかわいいですが、人前でご披露するほどの歌の出来ではありませんでした。まぁ、親たちから見れば十分なのでしょう。映画は、Voyous Voyelles。スキーに行くと母親に嘘をついて年の離れたかつての彼氏を捜してヴェルサイユからパリにやってきた19歳の大学生の少女。失恋して自殺しようとした彼女と出会ったすさんだ生活をしている姉妹。19歳と14歳の彼女たちは、事故で父親を亡くし、新しいボーイフレンドがいる母親に反発、ちょっとした詐欺とスリと恫喝まがいを続けています。ティーンエージャーの彼女たちの複雑な感情、「プチ・デビル」ぶり、不思議な結びつきとやはり誰かに頼りたいという気持ち。コメディタッチですが、やはりフランスらしい作品でした。途中、3度、いきなり画面が真っ黒。フランス語音声だけが流れて(画面が消えるので、英語字幕も当然なし)笑いが起こりました。2回はベッドシーン、1回は許可されない写真が満載されている雑誌が取り上げられるシーン。音声は問題視されないというのも変な話ですが。6年前の映画で、そもそもの画質もあまりよくはありませんでしたし、勉強の成果ゼロで、ひたすら字幕を追うことになってしまいましたが、久々に観たヨーロッパ映画でした。

 映画館はいつもどおり、冷凍庫状態。映画が終わったときは体が冷え切っていました。レセプションには結構人がいたはずですが、映画の最後までいた人は少なく、コメディもはいったドラマとはいえ、やはりこういうフランス的映画はあまり受けないのだろうと思ってしまいました。

 Francophonieの仲間にはとても入れていないレベルですが、今日は、おそらく最後となるフランス語のレッスン。帰国しても、フランス語に多少でも触れるようにして、続けていきたいとは思っていますが。

Monday, March 13

ICT

 先日、ICTの技術者の方と話す機会がありました。
 中国系でカナダで学んだという彼は、おそらく、この国では貴重な存在。一応、公務員なのですが、仕事の中身のせいか、民間的な雰囲気や発想も感じさせます。完全な技術屋さん、なのだと思いますが、まさにこの国の情報技術の専門分野を担っている人、のようでした。

 今の時代、ICTを進めていかなければ取り残されます。政府の発表すること、やることは、常に後手、いったいいつになったら物事が進むのかという感じですが、ICTの分野は、ビジネスが中心。ビジネスは周囲の国や国際社会の動きに敏感。ビジネスが動いていき、それに政府がくっついてきているという印象です。以前書いたとおり、電話などのインフラ整備はまだ不十分。第三世代携帯電話は発売されても、コンテンツがないという状況です。まともな地図すらないので、もちろんGPSは存在しません。それでも、ネットの普及率は高く、新しいもの好きの国民性、ローンを組んでまで最新携帯を購入する人たち。

 最近は、e-governmentを目指して、IT研修なるものをあちこちでやっているようです。これは、日本で、ワープロからパソコンに変わった時代に行われたようなものと同じなのか、中身はよくわかりません。「イット」と読んでしまう人はさすがにいないかもしれませんが・・・。

 前に、アフリカへの支援で、PCを大量に持っていったところで、そのままでは「ただの箱」になってしまってムダという話をよく耳にしました。ICTと騒いで、とりあえず、ハードが欲しいといわれて贈ったところで、結局、ソフトを使いこなす方法とその管理・維持までしっかりとフォローしていかなければ、すぐに役に立たなくなってしまいます。これとはだいぶ事情が違うお金持ちの国。すでにたくさん、「箱」はあるはずですが、それをどのように利用していくかという問題でしょう。

 情報社会といわれる現在、情報はあふれていて、必要かつ正しく価値のある情報をいかに迅速に入手するか、また、数ある情報から選択していくか、です。情報に踊らされないためには、最終的にはその情報を使おうとする人の判断にかかっていると思います。情報が自由ではなく、制約されているこの国で、ビジネス主導のICTの広がり。政府として禁止したものが、すらっと入ってきてしまう可能性や、禁止されている「集会」がネット上で行われる可能性なども高まります。どういう形で情報をコントロールしつつ、ICTを進めていくのでしょう。この国の目指すところ、というのはよくわかりません。国是に掲げるマレー・王政・イスラムを遵守し、なるべく変わらずに周囲にあわせていくというスタイルを維持し続けるのでしょうか。

Sunday, March 12

sparkling wine

 sparkling grape juiceではなく、本物です。シャンパーニュではないですが。金曜日、土曜日と、ドイツ人、英国人の友人たちとdrinksやdinnerを楽しんだので、久々に飲みました。あまり飲む機会がないと、確実に弱くなっているようです。その場は楽しくても、翌朝がつらいのですが・・・。

 金曜日は、同じ建物内の友人のお部屋に、ボトルとおつまみを持って遊びにいったのですが、10年以上いる彼女は当然のことながら物持ちで、アジアの家具や絵、飾り物などがいろいろあって楽しいです。中国、ベトナム、タイ、韓国等、異なる国の家具や小物をうまくまとめています。バスルームには、巨大な貝がいくつも飾られていて、海辺の雰囲気。こういう自分のテイストをしっかり持って、素敵なインテリアにしてあるおうちにお邪魔するとうれしくなります。sparkling wineもちゃんとシャンパングラスに。お料理はほとんどしていないようですが、以前約束したパンを焼いてくれていて、帰るときには焼きたてのパンを半分に切ってお土産に持たせてくれました。ドイツ製のパン焼き器。昔実家にあったものと似ているので、たぶん、材料をいれてスイッチをオンにするだけ、のようです。黒パンに近いような濃い茶色、ナッツなどがたっぷりはいってずっしりと重く、ちょっと酸っぱい香りのするドイツ・パン。これに、おいしいチーズとハムでもあれば、sparkling wineのおつまみにもばっちりだったでしょう。

 土曜日は、やはりご近所の英国人の友人たちと近くのホテルのレストランへ。偶然、二人が持ってきたのもsparkling wine。ふたりは以前から相当仲がよいようなのですが、見た目は対照的。年も離れていると思うのですが、かたや、毎日のようにダンスに通い、スリムな体型、そしてもうひとりは、こちらに来てからますますまぁるく、ふくらんでしまったそう。彼女をいかにダンスに引きずり込むか、が課題のようでした。グラスを空けつつ、個性的な友人たちとgirls talk。途中でギターと歌のライブもあったのですが、その横で大声で笑っていて、ちょっとかわいそうだったかもしれません。

 sparkiling juiceでも十分盛り上がれることもあるでしょうが、やはり、sparkiling wineのほうがいいようです。できれば、おいしいシャンパーニュであれば、もっと素敵ですが。

Friday, March 10

日本への赴任

 昨日は、今月末から日本に赴任予定という女性を紹介されました。

 学生生活は英国で送っていたということで、海外生活は初めてではないらしいのですが、独身なのでひとりで行くのかしらと思っていたところ、ご両親がたぶん一緒に来るそう。国際結婚しているカップルで日本人の奥さんのほうのお母様がもうおひとりなので子どもの世話を手伝ってもらうから一緒に、とか、お子さんがいるので、旦那様だけ日本で女性のご両親が子どもたちとともに海外、とか、最近は本当にいろいろなパターンがあります。

 それぞれのご家庭にあった生活ができるのがいちばん、だと思います。ただ、ちょっと気になったのは、滞在資格。配偶者と未成年の子どものように法的に規定されている扶養家族であれば、もし、10人の子だくさんであろうと、問題はないでしょう。扶養家族に当てはまらない場合、いろいろとクリアしなければならない問題が多そうです。今は事実婚、同性婚など、様々な形態の「家族」が存在する時代。それも、国ごとで法的なステータスはもちろん、常識も異なるわけですから、物事は複雑です。以前、あるアフリカの国の人が、「自分の甥」が来るのにビザがおりない、自分の国では甥も家族同然である、家族が遊びに来られないとは何事か、と大騒ぎしたことがありましたが、この「甥」、本当に親族なのかも疑問ですが、二十歳も過ぎていて、どうも滞在目的も疑わしいという感じだったようです。こんなハッタリ、ダメもとのような話はともかく、日本では法的に同性婚は認められていませんが、オランダのように認めているヨーロッパの国もあり、そういう国のカップルの扱いなど、難しいと思います。

 昨日ご両親が一緒に行くかも、という話を聞いたときは、まだ、はっきり決まっているという感じでもありませんでした。驚きましたし、珍しいとは思いましたが、あまりそれ以上コメントしませんでした。実際、手続きの段階になったら、特権を付与される立場にある彼女なので、もしかしたら、普通のケースよりもさらに大変かもしれません。

 いずれにしても、日本での勤務と滞在を楽しんでもらえればいいなと思います。
 お茶のお稽古に興味があるというので、東京に戻ったら前に教えていただいていた先生を紹介しようかしら、などと思っています。日本に戻ってこの国とすっかり縁遠くなってしまうのも寂しいな、と思い始めた今日この頃、接点を保てそうなのはうれしいです。

Thursday, March 9

International Women's Day

 昨日は、International Women's CommunityでInternational Women's Dayのdinnerがあるというのでちょうど何もなかったので、参加してみました。

 確実に参加するはずのcommitteeメンバーには何人か知り合いはいたのですが、あとは、誰が来るかもわからずとりあえず行ってしまいました。昨年、一度だけ、IWCのイベントで「Grammy Nite」なるものにいったのですが、これは、とにかくドレスアップしてディナーやダンス、ショーを楽しむというイベントでした。これもほとんど知り合いはいなかったのですが、このときは逆にお友達を増やすチャンスと思って参加しました。今回は、結局、行ってみたら友人が多いテーブルを発見。途中からそちらに移動しました。知り合いが少ないうちは、たったひとりであっても参加する勇気もあるし、ものすごく積極的に話しかける努力もするわけですが、人間、やはり楽な方に流れます・・・。

 会長とcommitteeメンバーによるスピーチ。ちょうど、昨日のワーキング・ランチで、ジェンダー問題についてちょっと話題にしたこともあり(International Women's Dayであるということはまったく意識していませんでしたが)、スピーチの内容には興味がありました。イスラムというのは、女性が表に出ることを好まず、女性に不利、というイメージがありますが、この国では、少なくとも最近は女性の元気さ、活躍ぶりは目立ちます。閣僚レベルや企業トップではまだゼロでも、官民ともに職場では女性のほうが多いのではという印象で、幹部クラスでも女性の数は増えています。確かに、服装については、女性のほうが制約を受けていますし、結婚ということになると、女性のほうが外国人との結婚に踏み切れない状況があるようです。どの程度、そんな話が出るのかなと思ったのです。結局のところ、「今の時代に生まれて私たちはラッキーです。悩みはダイエットぐらいで、あとは、しっかりお金を稼ぎたいということと、美しくありたいということ以外はあまりないのですから。」という感じで、一般論として現代女性の獲得した自由や権利に触れ、あとは、過去の例を挙げたぐらいでした。もちろん、スピーチですから、本音トークというわけではないでしょう。女性が車の運転を禁じられ、車にひとりで乗ること(男性運転手とふたりっきりになること)も許されず、目だけでた黒い布で全身を覆わなければならないサウジアラビアなどと比較すれば、彼女たちは現状に十分満足している、といえるのではないかと思います。

 ビュッフェ・ディナーが始まる前に、今日は、special drinkを用意しましたといわれ、何が出てくるかと思ったら、スパークリング・グレープ・ジュース。どうもテーブルにジュースや水用のグラスに加えて細めのワイングラスもどきがあると思いました。これで、乾杯。スペイン製のもので、色はコーラのようでしたが、お味はまぁまぁ。そういえば、マレー系の人たちがいる席で、乾杯をしたのはこれが初めてだったかもしれません。その後、ディナー、ダンスのパフォーマンス、ラッキードローと、あとの流れは典型的なものでした。

 そんなに盛り上がることもなく、最後は趣旨を忘れてしまっていましたが、中国系も多いcommitteeをはじめとするパワフルな女性たちを見ていると、この国はジェンダーについても、イスラムとそれなりにうまくバランスをとっているのかな、という楽観的な考え方でも、間違っていないのかなという気もしてきます。


 

Wednesday, March 8

ゴミ

 そろそろ身辺整理を始めています。

 モノを増やさないようにと思っても増えているもの。それでも、ショッピングの魅力に著しく欠けるところなので、ほとんどが日本から最後は処分してしまおうと思って持ってきたもの。それと、意外にいつもたまってしまうのが、書類。契約書や領収書、ステートメント、カード、パンフレットetcの雑多な紙の山。

 片づけ始めると結局ほとんどがゴミ。職場では週に3回、お掃除のフィリピン人スタッフが掃除機をかけてゴミ箱の中身を回収してくれます。職場では、シュレッダーにかける必要がないゴミ、というのはそんなに出ないのですが、アパートのほうは何もないはずと思ってもいろいろでてきます。アパートででるゴミは、何の分別も必要なく、(日本語であれば個人情報すらそれほど気にする必要がないかと思い・・・)すべてダストシュートへ。実は、これ、ロンドンで住んでいたフラットもそうでした。ダストシュートの中を「ガラン、ゴロン」とすごい音を立てつつ転がっていくボトルにはさすがに良心が痛みます。痛んでも、ほかに手段がないのですが。アリが来るので、生ゴミはこまめにダストシュートにポイ。そのうち同じダストシュートに、いらなくなった靴やお洋服を放り込むことになりそうです。

 ロンドンにいたときは、ストレス解消のショッピングの結果が恐ろしいことに。帰る直前には、とても日本に持ち帰れないと、足にあわず1度しかはかなかった靴や、日本ではあまり利用しないと思われたバスローブなども含めて、大変なゴミの山。さすがに、バスローブなどはダストシュートにはいりそうもなく、最後は段ボール箱にゴミをつめて、内廊下にとりあえずだしました。余っていたアルコール類を手にポーターのところに降りていって、ゴミの処理をお願いしたのでした。

 今回は早めの身辺整理とショッピングをしていないことが効をなして、ダストシュートを詰まらせるようなことにはならないといいのですが。

 それにしても、リサイクルはものすごく遅れています。ペットボトルのボトルとキャップは別、とか、細かすぎるゴミの分別は本当に大変ですが、もう少し、分別してもいいのでは、と思います。

Tuesday, March 7

猿と猫

 あたりにはプチ・ジャングルがいっぱい。

 最初は、「そこのジャングルで」などといわれてちょっと違和感。森とか林とか呼ぶのでは、とも思ったのですが、やはり熱帯雨林。これはジャングルと呼ぶのが正しいのでしょう。住んでいるマンションからは川が見えますが、川と建物の間にもプチ・ジャングル。前にシンガポールから来たお友達が、どこを見ても緑がたくさんある!と感動していましたが、確かに国土のほとんどがジャングルで、わずかな都市地域もこの人口の少なさからあちこちにプチ・ジャングルが存在しています。確かに比較すれば、シンガポールはコンクリートの固まり、という感じでしょう。

 プチ・ジャングルには、猿や巨大トカゲ、リス、ヘビなどが生息していて、たまに見かけます。この地域にしかいなくて珍しいのはテングザルといわれる天狗のような長くて巨大な鼻がある猿ですが、これには、なかなか遭遇できません。かなり臆病で警戒心が強く、人がたくさんいるところには現れないのです。これと対照的に、ふらっと、人間生息エリアに出てくるのは、種類はよくわかりませんが、体の小さなお猿さんたち。よくお買い物しにいくスーパーの駐車場の横もプチ・ジャングルですが、午前中にいくと、猿の群れが人間見物か、車見物かわかりませんが、かなりの数の猿たちがこちらを眺めていることがあります。

 当然、民家の横にもプチ・ジャングルはたくさんあり、ヘビがいた!とか怖い話もあります。先日聞いたのは、とてもかわいらしい話。裏山(プチ・ジャングルのことです)から母猿が4,5匹の小猿を連れて降りてきたそうです。そのおうちには、猫が数匹いるのですが、なんと、この小猿ちゃんたちは、猫とお友達になって、寄り添って一緒にいたそうです。なんともほほえましくかわいらしい姿だったとか。普通は、子どもを連れた母猿は気性も荒く、他の動物や人間を寄せ付けないはずですが、猫には気を許していたそう。犬猿の仲といいますが、猿と猫、というのは相性がよいのでしょうか?

 とはいっても、やはり街中でみかける動物は、圧倒的に猫と犬ばかり。最近、猿に会うこともあまりありません。帰る前には、テングザルのお顔をまともに拝見したいものです。

Monday, March 6

お料理

 昨夜は久しぶりに多少のお料理。ここのところ、週末はたいてい1日はダンスのパーティー。あまりうちにお友達を呼んでいなかったので、まともなお料理をほとんどしていなかったのです。普段は、ひとり分では作る気もしないので、活躍するのは温野菜を作るためのレンジOKのタッパーとレンジ、麺類をゆでるための小さなお鍋のみ。

 あと2ヶ月足らずで帰国と思うと、せっかく日本から持ってきたり、お願いして持ってきてもらった食材や調味料をいかに使っていくか考えつつ、かといって、もうあまり買い足しもしたくないし、と頭を使ったメニュー作りになってきます。それでも、結局、昨日は、最近知り合いになった友人ひとりを呼んだだけだったので、無難にパスタなど簡単なものを準備しました。和食といっても、一般的に想像され受け入れられやすいものは限られています。カリフォルニア・ロール的なお寿司。それに唐揚げや天ぷらなどの揚物系。ウナギも結構人気があります。サーモンやチキンの照り焼き。それ以外のものがどの程度受け入れられるかというのは、かなり微妙です。煮物的なものをひとつ作ってみたのですが、これはジャガイモとチキンにしたせいか、割と大丈夫だったようです。ふたりなのに、材料を使ってしまいたくて、ドレッシングにしてもパスタにしても大量生産。ハイティーをしてからきた、という友人は食欲もそれほどなく、かなり残ってしまいましたが。

 キッチンは電気のみ。電気のリングは、熱くなるのに時間がかかり、冷めるのも時間がかかります。温度調節はとても難しいです。沸騰したら弱火にして・・・などとレシピにあっても、沸騰してからダイヤルの数字を小さくしても遅すぎます。余熱利用への切り替えタイミング、二つ以上のリングを同時活用する工夫など、慣れてきたとはいえ大変です。それに引き替え、電圧が高い分、単純機能しかないとはいえレンジは便利です。あっという間に調理できてしまいます。もちろん、きれいに片づけているから・・・といういいわけはあるのですが、レンジを多様しているせいか、昨夜もあまりお料理していないキッチンね、とコメントされてしまいました。少なくとも、昨夜はお鍋やフライパンなど総動員で洗って干していたので、私としては「少なくとも今日は普段以上に十分使っている」という感じだったのですが。

 ちなみに、友人のところでは、「外」にガス台があるといっていました。油ものは汚れるからやらない、といったのに対して、こちらの主流はほとんどが揚物系、油は大量使用するわけですから、そんなことはいっていられません。スーパーで売っているクッキング・オイルの入れ物の巨大さには圧倒されます。業務用という感じです。家庭でも大量に油を使っているのは間違いありません。外だったら油がはねても気にならないということでしょうが、どういう状況なのでしょうか。

 こちらに来る前には、行ったらやることもなくて時間はたっぷりあるし、食べたいものもないから、自分だけのためにでもお料理をずいぶんするようになるだろう、と思っていたのですが、実際は、そうでもありませんでした。キッチンが使いにくい、材料をそろえるだけでも大変、外食やテイクアウェイのほうがよっぽど経済的、暑いから火をあまり使いたくないなど理由はありますが、何よりも自分だけのために作って食べるというのはやっぱり寂しいものです。時間をかけて作っても、ひとり食べたらあっという間、ですから。 

Sunday, March 5

毛利宇宙飛行士

 ちょうど毛利宇宙飛行士が当地を訪問中。こちらの民間企業の招待で、各地の学校などで講演会をされています。せっかくの機会ということで、昨日、在留邦人向けにも講演をしてくださることになり、行ってきました。

 1992年。日本の国を代表して宇宙空間で活躍された宇宙飛行士第一号。以前、館長をされている日本未来科学館で行われた行事でお顔は拝見していて、にこやかにゆったりスピーチをされていたせいか、物腰の柔らかな方という印象がありました。今回は、子どもたちが多かったこともあり、1時間ほどのお話の中心は、宇宙での食事とトイレ、そしてあとは日本未来科学館の広報。やはり皆が身を乗り出して聞いていたのは、食事。宇宙に行くと「意地汚く」なるそうです。山登りなどと同じで、食に対する意識が強くなるようです。宇宙に行くと味覚が変わるため、日本のレトルト・カレーが大変おいしくて、アメリカ人などにも大好評で、NASAでもカレーのレトルト研究が始まったけれどなかなかおいしいものができず、結局日本のスーパーで購入したものを持ち込んでいる、今では「日本のカレー」がNASAの通常ミール・プランに組み込まれているとか、ラーメンが食べたかったけれどダメだった、野口宇宙飛行士は、ビストロ・スマップでキムタクが作ったカレーと一緒に特別に開発してもらったラーメンを持っていった、といった庶民レベルのお話はなかなかおもしろかったです。それにしても、スペースシャトルは、発射後、たったの8分ちょっと宇宙に到達してしまうそうです。そんなに近いところだったと思うと(それより、そんなすごいスピードで進むのか、とびっくりすべきですが)不思議な感じがしました。技術はどんどん進歩していて、それでも、ああいった悲惨な失敗もあり、危険は当然あるのに、夢を追い実現していこうとする人たちがいること、月並みですが、地球や、なんと毛利さんがご自分で撮影された富士山の画像などに感動しました。

 宇宙旅行は、今は25億円(日本人の方がひとり申し込み済み)とか、安くても(!)JTBが売り出したパックツアーは1100万円(しかも、完売)だそうです。20年もすれば、200万円ぐらいで地球を何周かするぐらいはできるでしょう、といわれましたが、どうなんでしょうか・・・。現時点で、月までいくのは100億とかそういうレベルのようで、しかも、命の保障はないそうです。

 宇宙で、地球ほど美しい星はなく、地球以外に生命が住めるところはない、とおっしゃっていました。もちろん、宇宙は広いので、どこかを探せば地球のような星もあるのかもしれません。でも、やはり、地球がいかに素晴らしいところか、それを守っていく責任が私たちにはあるのだということを、改めて認識させられました。小さい子どもたちが多かったので、どこまでお話がわかったのかな、という気はしましたが、彼らにとっても本当に貴重な体験だったと思います。

 怖さのほうが先に立って、宇宙に行きたいとは思えないのですが、ほんの少しだけ、宇宙が身近になったような気がします。

Thursday, March 2

突然に

 とても急な展開となり、4月後半か5月には帰国することになりました。まだ、帰国日が確定していないどころか、正式な形にもなっていませんが、もう戻ることだけは確実。

 早く帰りたいと騒いでいたものの、いざ、いきなりそれが決まるとやり残したこと、やりかけのこともいろいろとあり、今まで以上にバタバタと過ごすことになりそうです。秋ぐらいまでは、と覚悟も決めて、予定などを立てていたので、単純に大喜びという感じでもありません。あれだけ今すぐ帰りたい、と大騒ぎしていたわりには、驚きのほうが大きかったことに自分でもびっくりしています。ホームシックは波があり、今は静かな時期だったので、余計なのかもしれません。「南の小さな国から」もあと2ヶ月、ということになるでしょうか。ブログを始めたのが遅かったので、1年間という一回りができないのが残念です。ただ、毎日同じような気候、日照時間も大きく変わらず、というところなので、四季折々の・・・、ということもないのですが。

 まだ正式でないとはいえ、もうそろそろ帰るから、と友人たちには漏らしつつあります。
 今日は仕事絡みのランチ。産休から復帰して久しぶりに会うカウンターパートとだったのですが、ふと、いきなり、そういえば、あと、どれぐらいここにいるの?と聞かれて、実は・・・。聞かれなければ、まだいわないつもりだったのですが。残念がってくれて、出発の日が正式に決まったらちゃんと余裕をもって連絡をしてね、あ、気が付いたら帰っちゃっていた、ということがないように、といってくれたのはうれしかったです。ちなみに、彼女は出産ギリギリまで働いて、産休はわずか50日程度。日本では、法定で6週・8週、通常は1年、長くとろうと思えば3年までとれるところもある、という話をするとうらやましがっていました。そうはいっても、短い産休でも十分周囲がbabyの面倒を見られる環境、そして、残業が少ない短時間の労働時間。最近は、日本でもフィリピン人のメイドさんやシニア・ボランティアのような派遣サービスを利用する若いカップルも増えてきているとはいえ、産休期間は短くても、やはりこちらのほうが恵まれていて、子どもを生んで育てやすい、とは思います。

 帰ることが決まり、また、少し違った目で毎日を見て、感じることができるかもしれないので、出発までなるべく継続して、でも、気ままにつづっていきたいと思います。
 

Wednesday, March 1

鳥インフルエンザ

 最近は欧州でもかなりの広がりを見せていますが、近隣国では人への感染例も日々増えています。

 先日、在留邦人向けの鳥インフルエンザに関するレクチャーがありました。レクチャーを聞くまで、当地は汚染国ではなく、avian flu freeであると発表されていたので、何となくの知識しかありませんでした。そういえば、いつの間にか、鳥インフルエンザから「新型インフルエンザ」という言葉がでているけれどどう違うのだろう、という感じでした。

 簡単に言えば、鳥インフルエンザは鳥がかかるインフルエンザ。インフルエンザにかかる動物は、人間や鳥以外にも豚などがいるそうですが、かかりやすい動物と、かからない動物、同じ「鳥」でも、感染しない鳥もいるらしいです。今は鳥インフルエンザが人に感染しているWHOのフェーズ3の警戒期。確認はとれていなものの、人から人へ感染したかもしれないというケースもあるということで、フェーズ4とのボーダーにさしかかっているそうです。本格的にフェーズ4に入り、限定的に人・人間の感染が発生するようになったら、新型の流行が始まったと判断されます。新型とは、つまり、鳥インフルエンザのウィルスが変異して人に感染する新種のウィルスになったということ。新しいといわれるぐらいなので、どんなものとなるのか予測不可能、治療薬もありません。タミフルという薬が話題になっていますが、これさえあれば大丈夫というわけではなさそうです。早期発見と処方は必須、あとは、自己の免疫力というのが重要なようです。結局、自分の体力と免疫でウィルスと戦っていくということになります。

 交通の発達した現代、あっという間に世界的大流行(フェーズ6)まで進む可能性があります。そのため、世界的に予防策、対応策を検討する必要があり、セミナーなどが行われています。確かに、今までの感染は鳥との密着した生活を送っている人たちがほとんどで、生活、教育、衛生、医療レベルが高くない地域。だからこそ、死亡率も高かったのかもしれません。それでも、新型インフルエンザとなれば、どんな猛威をふるうことになるのかわからないので恐怖です。

 まずは、正しい予防知識と準備、警戒をしておくことが必要なのでしょう。今のところは、食物感染はない(であろう)とされています。火をしっかりとおしていれば、鶏肉や卵は問題ないということです。チキンが中心のイスラム国では、鶏を食べてはいけないといわれたら、相当大変なことになります。

 SARS騒ぎのときは、気づいたら収束してきた感じでした。今回も、鳥インフルエンザ・ウィルスの負け、ということで、収まってくれればよいのですが。

 だいぶ遅ればせながら鳥インフルエンザ対策を議論し始めたこの国。もしも感染が確認されたら、大慌てするだけで、おそらく対応できないのだろうなぁと思います。とりあえず、鶏には近づかないようにしておこう、と思います。