Tuesday, January 24

Memoires of a Geisha

 土曜日に観てきました。 邦題は「Sayuri」。
 確か、ロンドンにいた頃本が出版されて話題になったのですが、結局今まで読まずじまい。映画からはいってしまいました。

 最初のシーンはいきなり日本語のみ。字幕もなし。あれ?という感じでした。隣に座っているマレーシア人の友人も、きょとん。今何ていっているのと聞かれても、映画は始まっているし・・・。ただ、このシーン(貧しい漁村で、後に芸者・サユリとなる主人公の千代と姉のふたりが「田中さん」に売られるシーン)が終わると、その後は、基本は英語になりました。千代ちゃん役の女の子も、セリフが英語になります。たまに日本語がまじるせいか、「聞き取りにくい英語」が多いせいか、英語の字幕付。さらに、英語の下には大抵の映画と同様、中国語字幕も付いていました。これで、途中でしょっちゅう意味を聞かれて遮られることはなくなると内心ほっとしました。これ、他の国での上映ではどうなっているのでしょうか?

 もう大丈夫と思ったのですが、「置屋」「水揚げ」といった特殊単語は日本語のまま。聞かれてもこちらも聞き慣れない単語。何となく意味はわかっても、ストーリーの流れで理解するしかありません。本であれば、ちゃんと説明があるのでしょうが。

 日本といえば、「フジヤマ、ゲイシャ」。アメリカ人の視点から見た日本で、本当にこうなのかしら、ちょっとオーバーでは、などと思う点はいろいろありました。先日、Baron役で出ていた日本人(日系人?)の役者さんのインタビュー記事が新聞に載っていいましたが、「ノンフィクションではない。日本人でない監督が撮った作品であれば、interpretationになるのは当然。」という趣旨のコメントをしていました。主演男優は渡辺謙で、置屋の「お母さん」役の桃井かおりもいい味をだしていましたが、主役のサユリ役はそもそもチャン・ツィイー(子役は日本人で、彼女も好演していましたが)。だいたい、日本人が英語をしゃべっていること自体が不自然です。これをいってしまうと、おしまいですが。それでも、一般的に演じられるオペラのマダム・バタフライよりはよっぽど、「日本的」な気がしました。そもそもが「芸者ワールド」という特別な世界がテーマ。一体、この映画に出てくる男性陣には家庭があるのか、家庭があったとしても、ここまで芸者に入れ込んでいるということなのか、男尊女卑の時代だからそんなことはどうでもいいのか、そのあたりもよくわかりませんでしたが、豪華なキャストに華やかな衣装、不思議な世界、美しい映像、外国人の描いた日本の作品と割り切ってしまえば、楽しめました。

 観に行ったのは土曜日の午後。土曜日は半日または普通のワーキングデーのところも多いせいかもしれませんが、先週始まったばかりの割にはお客さんはちらほら。既に2回観たという日本好きの友人もいましたが、ここでは、キング・コングやハリー・ポッターのほうが受けがよいようです。

 
 

 

1 comment:

chestnuts said...

thonちゃん
チャン・ツィイーはきれいでした。でも、やっぱり日本人に演じて欲しかったですね。