Tuesday, February 7

Sayuriと風刺漫画

 先日、Memoires of a Geishaを観ましたが、実は職場の本棚に日本語訳版の本があるのを発見。

 早速借りて読んでみました。結局、映画はかなり本とはストーリーが違い、映画でどうして?と思った部分は、本では丁寧な説明がされていたり、そもそも、全く異なるエピソードをくっつけたりしていることがわかりました。たぶん、本を読んでから映画を観たらがっかりしたと思うので、逆でよかったです。

 セリフ部分は、慣れない京言葉。でも、とても雰囲気がでています。ただ、これは、もともと英語がオリジナル。英語では、この違いは出せないでしょうから、もしかしたら日本語版の方がより一層日本らしくアレンジされているということなのかもしれません。少なくとも、日本語訳は時代背景などしっかり研究したうえで書かれている感じです。もちろん、オリジナルもいろいろと調べ、長年構想を練り上げた上で書かれているのだと思います。ニューヨークに移り住んだ晩年の元芸姑(「芸者」は京都では使われないということで、このあたりも、日本語版では気をつけて言葉を選んでいます)から、日本語の専門の学者が聞き取りをして一代記という形で本にした、という体裁もよくできていて、ノンフィクションと勘違いしてしまうというのもわかります。それでも、日本語だから表現できている部分も多い気がして、そのあたり、オリジナルではどうなっているのか興味がわきます。かなりの長編、ちょっと気合いが必要ですが、そのうち、友人の持っている英語版を借りて読んで、確認したいと思います。

 映画のほうのSayuriは、中国では、中国人女優が芸者役を演じていて従軍慰安婦問題を思い起こさせる、反日感情をさらにあおる、という理由で上映禁止になっています。こちらでは、以前、Constantineが上映禁止になったことを書きましたが、今回は何の問題にもなっていません。

 問題といえば、最近、ものすごいのは、フランスのタブロイド紙などにデンマークの風刺漫画が掲載されたことに対するムスリムの抗議活動。ご近所の国では相当すごい状況です。こちらでは、かなり静か。外電をキャリーして、各地での抗議行動の報道はありますが、かなり佳境に入ってきてから、2政党が「全くけしからん」程度のコメントを発表した程度。デンマークの大使館がないせいもありますが、この国ではそもそもちょっと人が集まっただけで連行されてしまいます。集会の自由というのは認められていません。そのため、「デモ」というものはあり得ないのです。

 その渦中の風刺漫画。表現の自由はもちろん重要です。ただ、だからといって何を書(描)いてもいい、というものではないでしょう。特に、宗教に関わるものはとてもセンシティブ。今回の漫画そのものを見ていないのですが、偶像崇拝を禁じるイスラムの教えを全く無視、冒涜しているというのは否定できないのでは。正直なところ、個人的には、理解しにくい、親近感のわきにくい宗教であるとは感じています。それでも、異なる価値観をお互い理解しようと努め、尊重し、歩み寄る姿勢を見せないと、ますます争いの絶えない世の中になってしまうと思います。

 同じものでも、感じ方、とらえ方、また、その度合いがものすごく異なること。自由と規制。そんなことを考えさせられました。

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